週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

中川の碑 行田市小針

辯天門樋の手前にあった中川の碑。カッパが可愛い。

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中川の碑 -中川と元荒川 -
「カッパ博士」への質問
◎元荒川ってどんな川?
熊谷市佐谷田地先を起点として、越谷市中島地先で中川に合流する延長約61km流域面積216km^2の山岳部からの源流のない川だよ。そのため、主に雨水、水田の落ち水、生活の排水が水源となっているんだ。また、農業用水の貴重な水源にもなっていて、農業用水を取水するため鴻巣市には、榎戸堰、 三ツ木堰、安養寺堰、さいたま市には末田須賀堰という大きな堰もあるよ。 桜がたくさん植えられているところもあって、地域の人々の生活にとっても役に立っているんだ。
◎元荒川はどうやっててきたの?
その名前のとおり、昔ば荒川だった。徳川家康三河の国(現在の愛知県)から江戸(現在の東京都)に国替えになり、徳川幕府を開くと、利根川や荒川の瀬替え(川の道筋を替えること)を行い、広大な水田を切り開いた。1629年(寛永6年) 家康の家臣だった伊奈忠次が荒川を治めるため熊谷市久下で荒川を締切り、和田吉野川・市野川・入間川筋を本流とするよう瀬替えを行った。(利根川の東遷に対し荒川の西遷ともいわれる)そして以前の荒川の川筋が下流に残り元荒川となった。

◎元荒川が合流する中川はどんな川なの?
羽生市葛西用水路左岸に起点があり、埼玉県東部の水田地帯を流れる。そして、都内に入って、中 川と新中川に分かれ、東京湾に注ぐ、延長約84kmの川だよ。この川も山岳部からの源流がなく低平地約987km^2(埼玉県の面積の約26%)の雨水や生活排水、水田の排水を34の支派川(元荒川も含まれ る)で集めて流れる珍しい川なんだ。
◎「源流のない川」ってどうしてできたの?
それはね!江戸時代に、それまで東京湾に向かって乱流していた利根川渡良瀬川の流路を東へ変え、 常陸川筋を利用して河口を銚子に移したこと。
また、利根川に合流していた荒川を入間川隅田川筋を利用して西に移した。これらにより、古利根川元荒川、庄内古川などの山からの源流がない川が生まれたんだ。さらに、江戸幕府は、お米を増産するために、水害の減ったこの低平湿地、池沼の水田開発を広く進め、旧川を排水路や用水路として利用したんた。現在の中川水系の水田地帯は、こうしてで きあがったんだよ。
「埼玉県治水協会」

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