小美玉市玉里史料館に隣接する小美玉市民家園(旧小松家住宅)の駐車場に保存された旧新治郡田余尋常高等小学校校門。
旧新治郡田余尋常高等小学校校門
小美玉市立玉里小学校の前身である田余尋常高等小学校は、明治42年(1909)から昭和37年(1962)まで現在の玉里総合支所の敷地にありました。昭和37年5月、県道紅葉石岡線を挟んだ北西側の現在地に移転しましたが、赤煉瓦造りの校門は平成になっても残されていました。大正時代の古写真によると、門柱には「新治郡田余尋常高等小学校」の表札が掲げられていたことが分かります。
平成14年、県道改良工事に伴って玉里民家園内に移設復元されました。
民家園(旧小松家住宅)
—小美玉市民家園—
旧小松家住宅は、小松家(上玉里)から寄贈を受け、平成七〜八年にかけて、解体・復元・保存・修理を行い、現在地に移築整備したもので、農家の日常、農業生産および村落社会での風俗習慣などを知ることができる貴重な文化財です。解体時における調査の結果、次のような特徴をもっていることが明らかになりました。
◆建築時期は、「田の字型」への移行がみられる「ひろま型」の間取り、三本溝の敷居、ひろま部分の差し鴨居、細い梁、なんど(へや)への出入口の「なんどかまえ」、しとみ戸のなどの意匠・構法 から、十八世紀後葉(江戸時代中期・約二四○年前)と推定され、現在、玉里地区に残る民家では、最も古い様式のものとされています。
◆江戸時代中期における上層農家の諸様式をもっています。古文書に「寛政三亥」(1791年)、 「庄屋宇衛門代」とあることから、庄屋格の民家であることが分かり、推定建築年代とも一致しています。
◆県北地方だけでなく、県南地方にも分布した「曲り屋」です。しかも、土間全体が大きく曲がる 「土間曲り」であり、さらに、うまやがもう一つの曲りをもち、全体で「二つの曲り」をもつ珍しい様式です。
◆ひろまのとなりの部屋は、さんべや(産部屋)と伝承されていました。しの竹のすのこの一部が解体時に発見されたため、さんへやとして復元されました。当時の出産事情を今に伝える貴重な資料です。
◆建物全体を解体時の調査成果に基づき、可能な限り、建築当初の姿を忠実に再現しています。
部材も使用できるものは、最大限に活用して復元しています。