週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基

常陸国府跡

石岡市立ふるさと歴史館は、石岡市民会館や石岡小学校とともに府中城跡にあり、石岡小学校の校庭の地下には常陸国府跡が保存されている。常陸国府跡は平成10年度から18年度の発掘調査で発見された。国府中央部の国庁と西側に位置する曹司の存在が明らかになった。国府は7世記末頃から11世記頃までのおよそ300年間機能していたと考えられる。国庁のほぼ全容が確認できた例として貴重な遺跡。

常陸国府跡の碑

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石岡市立石岡小学校
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常陸国府跡 | 石岡市公式ホームページ

石岡の陣屋門

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石岡の陣屋門 | 石岡市公式ホームページ

府中城の土塁。府中城は大掾詮国が1346年(正平元年)より数年を費やして築城。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐大掾氏一族は参陣をしなかったため、参陣をした佐竹義重常陸国が与えられ、義重は水戸城を攻めて江戸重通を追い出し、その勢いで府中城も攻め立てた。激戦の末、府中城は落城し、大掾清幹は自害した。これにより大掾本宗家は滅亡した。大掾(だいじょう)氏は、中世常陸国に勢力を持った一族で、軍事貴族坂東平氏(桓武平氏)国香流。常陸平氏嫡流。国香の子貞盛の弟繁盛の子維幹が常陸大掾職に任ぜられ、その子孫は代々大掾職を世襲したため、職名から「大掾氏」と呼ばれるようになったとされるが史実では確認できない。源頼朝から常陸大掾職に任じられた常陸平氏の吉田資幹が「大掾氏」の祖と考えれれる。その子孫は水戸城を本拠地として栄え馬場氏とも呼ばれた。

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府中城の土塁 | 石岡市公式ホームページ

府中城跡 | 石岡市観光協会公式ホームページ

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