週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

国府台遺跡(第28-26地点)見学会(10/28) 市川国府台

10月28日に千葉県市川市と神奈川県川崎市国衙郡衙遺跡の発掘調査の説明会をハシゴした。午前は市川市国府台遺跡(第28-26地点)見学会に参加。今回の発掘調査は、再整備工事中の国府台球場の北側、下総国国衙の主要施設を区画すると推定される溝の北東隅(1区)と北西隅(2区)を対象に実施。1区は、3年前のトレンチ調査で溝の一部を確認していた。今回は全面に調査区を設定。2区は1区の北東隅から伸びる東西溝と球場内の調査で確認した南北溝の延長上にトレンチを設定。1950(昭和25)年完成の旧国府台球場は老朽化により2019年12月に一時閉鎖となり、建て替えのため取り壊され、発掘調査を実施。2025年春オープンを目指して建設工事が始まっている。



2区の溝3(区画溝の北西隅)

1区

溝1(白テープ)と溝2(赤テープ)

溝1(白テープ、区画溝の北東コーナー)

溝1の断面

溝2(赤テープ)

掘立柱建物

竪穴建物

国府台公園野球場の再整備(イメージ図)
f:id:kofunmeguri:20231029153006j:image
f:id:kofunmeguri:20231029153010j:image

陸上競技
f:id:kofunmeguri:20231029153033j:image

6年前に開催された国府台遺跡第192地点の現地説明会が現地説明会の初体験だった。

昨年も見学会があったがこの時は真福寺貝塚(さいたま市)の説明会に参加して、こちらは不参加。

下総総社跡(六所神社跡)
f:id:kofunmeguri:20231029153105j:image
f:id:kofunmeguri:20231029153109j:image
f:id:kofunmeguri:20231029153102j:image

下総総社跡(六所神社跡)

7世紀後半の日本は、天皇を中心とした法治国家をつくろうとしていました。そして北海道、東北地方の一部、沖縄をのぞく各地を60余国にわけ、国ごとに整備をすすめました。下総国は現在の千葉県北部を中心 に、茨城県、東京都、埼玉県の一部にあたります。その国府(役所を核にした都市)は市川市国府台にありました。国府には政務や儀式をとり おこなう国庁があり、国庁を中心に国衙(官庁街)がひろがっていました。 下総国庁は現在の野球場付近にあったといわれています。

国司(国府の役人)は国内の有力神社を管理し、参拝する義務がありました。しかし、広い国内をまわるのは大変だったので、平安時代後半になると国庁ちかくに国内の神々をあわせまつった神社がたてられまし た。その神社を総社・六所神社といいます。また国司がそのころよわまっていた影響力をとりもどすため、神の加護を得ようとしたともいわれ ています。

六所神社明治19年に須和田に移転し、軍用地となったあとも「六所の森」としてのこっていました。また、六所神社跡周辺の地名は「府中」と呼ばれていました。

陸上競技場周辺を発掘した結果、神社そのものの遺構はみつかりませんでしたが、六所神社を区画していた溝跡がみつかっています。また、千葉商科大学内ではこの溝とともに、参道跡もみつかっています。こう した調査結果から、初期の境内地は「府中」の範囲にあたり、国街の北東に設置されたことがわかりました。

2004年12月 市川市教育委員会

 

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村