鎌倉幕府を開いた源頼朝の重鎮であった千葉常胤(つねたね)の父・常重(つねしげ)が1126年(大治元年)に居館(亥鼻城)を構えた亥鼻山(いのはなやま)。1455年(康正元年)に千葉胤直(たねなお)が原胤房(たねふさ)に追われるまで約330年に渡り千葉氏の拠点であった。原胤房は胤直の叔父の馬加康胤(まくわり やすたね)の重臣。康胤は、享徳の乱(1455-1483年)に乗じて、千葉氏宗家を攻め滅ぼして千葉氏当主(千葉康胤)を僭称した。千葉氏は関東八平氏の一つに数えられる下総の豪族。桓武平氏良文流。1967年に亥鼻公園の二の郭跡に模擬天守の千葉市立郷土博物館が建設された。亥鼻城は天守出現以前の城であり、天守はなかった。亥鼻城跡には土塁や空堀が遺構として残る。
千葉常胤像。2001(H13)建立。彫刻 制作:田畑功、碑文:吉田天行。
宇宙大霊碑
亥鼻城址碑
忘れられない千葉空襲
(2018年11月24日撮影)
企画展「#千葉市内出土考古資料優品展」資料63~65関連
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2022年1月23日
「『#古瀬戸四耳壺』蔵骨器郡出土地点」亥鼻公園(中央区亥鼻)
昭和48年(1973)、無線受信塔を設置するために猪鼻城の土塁に直径1mほどの穴を掘ったところ、地下1.1mの地点から、この3つの蔵骨器が出土しました。(続く)#千葉市立郷土博物館 pic.twitter.com/Hj8iLuDKkN
すべて平安時代後期から鎌倉時代のもので、これら蔵骨器が埋葬されたころ、土塁はまだ造られておらず、城が築かれる前の亥鼻公園一帯は墓域だったと考えられます。誰が埋葬されたのかは不明ですが、高価な壺を用いていることから、下総を支配した千葉氏との関係が推測されます。#千葉市立郷土博物館 pic.twitter.com/T7Hk9klov7
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2022年1月23日
千葉市の礎を築いた名門武士団千葉氏。同氏と深い関わりを持つ「平将門」と「平忠常」を通してその成立を紹介するパネル展「将門と忠常―千葉氏のルーツを探る―」。今日から開催です。(錦)https://t.co/ESmAXFEKTZ#千葉市立郷土博物館 #平将門 #平忠常 #帝都物語 pic.twitter.com/9Xlk0cF8TL
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年5月27日
「パネル展「将門と忠常」紹介①:寄木造 #平将門 木像 #国王神社 蔵 画像提供:坂東市」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年5月28日
パネルの掲載資料を紹介するシリーズ第1回目は平将門像です。将門をまつる国王神社のご神体で、娘の如蔵尼が刻んだと伝えられます。素朴な作風ながら将門の威厳と気迫が強く感じられます。(錦) #郷土博物館 pic.twitter.com/KLohYvV07V
「パネル展「将門と忠常」紹介②:#上総国分寺跡 #上総国分尼寺跡」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年5月30日
将門や忠常たちを #坂東平氏 といい、そのはじまりは、#桓武天皇 のひ孫の平高望が関東に土着したことにあります。高望がいた上総国府の跡地は諸説ありますが、国分寺・国分尼寺の周辺に置かれたと考えられます。(錦) #郷土博物館 pic.twitter.com/Xf4CVu33eZ
「パネル展「将門と忠常」紹介③:平国香館跡・伝平国香墓(茨城県筑西市)」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月2日
将門の乱は所領を巡る一族との争いから始まりました。将門は伯父の平国香を討ちましたが、後に将門は国香の子貞盛に討たれます。ちなみに #平清盛 #北条政子 #伊勢宗瑞(#北条早雲) は国香の子孫です。(錦) #郷土博物館 pic.twitter.com/p8IpDrHI0W
「パネル展「将門と忠常」紹介④:常陸国府跡(茨城県石岡市)」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月3日
常陸国府の占領を契機として、将門の戦いは一族間の私戦から朝廷への反乱へと変わりました。将門の乱の分岐点の地といえる常陸国府跡は、国府のほぼ全容が確認された例として大変貴重な遺跡です。(錦) #千葉市立郷土博物館 pic.twitter.com/9U2Qjn5DXK
「パネル展「将門と忠常」紹介⑤:石井(いわい)の営所跡(茨城県坂東市)」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月4日
関東を制圧した将門が夢見た新国家の都が石井の営所です。周辺には一門の館や多数の軍勢を収容可能な施設が並んだと考えられます。
今はこの石碑が「兵どもが夢の跡」をしのばせるばかりです。(錦) #千葉市立郷土博物館 pic.twitter.com/nNn5P9mlQZ
「パネル展「将門と忠常」紹介⑥:小堀鞆音「田原藤太藤原秀郷像」(個人蔵 栃木県立美術館寄託・画像提供)」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月5日
下野の豪族 #藤原秀郷 は将門追討で武名をあげ、子孫は源平と並ぶ名門武士団となります。歌人 #西行(佐藤義清)も子孫の一人で、#平清盛 #千葉常胤 と同年生まれです。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/nKsByIGcCA
「パネル展「将門と忠常」紹介⑦:平貞盛『本朝百将伝』(国文学研究資料館蔵)より」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月6日
将門のいとこにしてライバル。貞盛は当初、父を討った将門と融和を図りますが、後に対決し #藤原秀郷 と共に将門を討ちます。功により貞盛と一族は勢力を広げます。 #平清盛 は彼の子孫です。(錦) #郷土博物館 pic.twitter.com/QTt6qlZJwC
「パネル展「将門と忠常」紹介⑧:源経基『英雄百人一首』(国文学研究資料館蔵)より」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月10日
武家の名門 #清和源氏 の祖。将門の乱や #藤原純友 の乱での功績を認められ、清和源氏発展の礎を築きます。#源頼朝 #足利尊氏 #武田信玄 #明智光秀 は子孫です。(錦)#千葉市立郷土博物館 #麒麟がくる pic.twitter.com/61RI6kvADT
「パネル展「将門と忠常」紹介⑨: #平将門 戦死の地(北山古戦場跡)」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月11日
将門は猿島の地で貞盛・秀郷との決戦に臨みますが、時利あらずして戦場に斃れ、関東独立国の夢も露と消えました。終焉の地には今も供物が絶えません。将門は様々に形を変えて人々の中に生き続けているのです。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/7NrUADqTb8
「パネル展「将門と忠常」紹介⑩: 大友城跡(香取郡東庄町大友)」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月12日
千葉氏の祖先平忠常は、下総・上総両国を地盤とし、両国の国司(権介)に任命されるなど房総地方に強大な勢力を有していました。『千学集抜粋』と『 #今昔物語集』から、この地が忠常の拠点の1つと考えられます。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/dXpmNWwTuG
「パネル展「将門と忠常」紹介⑪:大椎城跡(千葉市緑区大椎町)」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月13日
『千葉大系図』には忠常が「上総国大椎城に居す」とあり、忠常の拠点の1つでした。子孫の千葉氏も1126年に当博物館の建つ亥鼻周辺に本拠を移すまでこの地にいたとされます。(錦)#千葉市立郷土博物館 #千葉開府900年 pic.twitter.com/taENBzbfm0
「パネル展「将門と忠常」紹介⑫:安房国府跡(宝珠院 南房総市府中)」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月16日
忠常の乱は安房国府襲撃と国司焼殺から始まったとされますが、それ以前から、忠常は国司の収奪に対する抵抗運動を起こしていました。国司殺害は、朝廷が忠常の行動を国家への反乱とみなした分岐点といえます。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/rQhDwnn9yN
「パネル展「将門と忠常」紹介⑬:安房国総社跡(元八幡神社 南房総市府中)」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月16日
管内にある神社の参拝も国司の仕事です。11世紀になると、国府の近くに総社を建てそこに参拝することで、神社を巡る手間を省くようになります。総社跡の存在はこの地に安房国府があったことを示します。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/jFNWPMgECI
「パネル展「将門と忠常」紹介⑭:忠常の乱の反乱区域図」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月18日
1028年、朝廷は忠常の追討令を出します。忠常は朝廷に逆らう気はなく「伊志みの山(いすみ市周辺)」にこもり、主従関係を結んでいた内大臣藤原教通に働きかけて追討令撤回を図りますが、願いは叶わず朝廷と戦うことになります。#郷土博物館 pic.twitter.com/0QNCvqftGc
「パネル展「将門と忠常」紹介⑮:『今昔物語集』画像提供:大洲市立図書館」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月19日
平直方は将門を討った貞盛のひ孫です。『今昔物語集』に忠常が貞盛の子孫を先祖の敵と称したとあるように、二人は代々の宿敵でした。追討使となった直方はこの機会に忠常から関東の覇権を奪おうと画策します。#郷土博物館 pic.twitter.com/xuKDwy2FrA
「パネル展「将門と忠常」紹介⑯:源頼信像『本朝百将伝』(国文学研究資料館蔵)より」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月20日
直方は、父の上総介平維時の加勢を得て忠常を攻めますが追討ははかどりませんでした。戦乱の長期化による房総地方の疲弊を憂いた朝廷は、直方の罷免と清和源氏の #源頼信 の登用を決定します。#郷土博物館 pic.twitter.com/HQfQwYOh5A
「パネル展「将門と忠常」紹介⑰:中野氷川神社(東京都中野区東中野)」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月21日
当社は、1030年に頼信が忠常追討に際して #大宮氷川神社 から勧請したと伝えられます。乱鎮圧に失敗した直方の後任として頼信が追討使に任じられたことが、後の #千葉氏 と源氏との関係につながります。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/cSNGcwMVDA
「パネル展「将門と忠常」紹介⑱:伝平忠常墓しゃもじ塚(岐阜県不破郡関ケ原町)画像提供:鈴木佐氏」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月23日
忠常は戦うことなく頼信に降り、ここに大乱は終結しました。忠常は都への護送中に発病、村人がしゃもじに乗せて食物を出すとそのまま死んだとされます。これが塚名の由来です。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/GAciBLqair
「パネル展「将門と忠常」紹介⑲:大椎城水攻之図 画像提供:船橋市西図書館」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月24日
頼信の大椎城攻略を描いた錦絵。近世風の城郭描写、大椎城の水攻め(そもそも忠常は頼信と戦っていない)と史実と異なります。忠常居城が水辺にあったとの『今昔物語集』の記述を基にしたのでしょう。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/LJ7gJfZQaO
「パネル展「将門と忠常」紹介⑳:源頼信墓(大阪府羽曳野市通法寺)画像提供:鈴木佐氏」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月25日
当地には頼信・子の頼義・孫の義家の清和源氏三代の墓が並びます。彼らを河内源氏と呼ぶように清和源氏の地盤は関西でしたが、忠常の乱をきっかけにその勢力は関東にも及ぶようになります。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/Wh1MRQtob7
「パネル展「将門と忠常」紹介㉑:両総平氏分布図」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年6月30日
荒廃した房総の復興を担ったのは忠常の子孫達です。彼らは再開発した土地の名を名乗る在地領主となり戦闘集団「武士団」を組織します。上総・下総両国に広がった忠常子孫を「両総平氏」呼び、中でも千葉氏と上総氏が有力でした。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/ESeTN8OUvz
「パネル展「将門と忠常」紹介㉒:上総広常像『本朝百将伝』より 国文学研究資料館蔵」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年7月1日
上総氏は両総平氏の族長で、『吾妻鏡』に二万騎を率いたと記される程の兵力を誇りました。広常は源頼朝を助けて活躍しますが、強大な勢力と関東自立の思いの強さを頼朝に疎まれ、粛清されます。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/0BAtAeZEPz
「パネル展「将門と忠常」紹介㉓:臼井氏の墓(佐倉市臼井田)」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年7月2日
千葉常胤の弟臼井常康にはじまる臼井氏の墓は菩提寺の圓応寺にあります。上総広常や常胤・常康たち両総平氏の多くが「常」の字を通字にしますが、これは平忠常が彼らの先祖として意識されていたことを示しています。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/Cc5m8UePPf
「パネル展「将門と忠常」紹介㉔:「将門伝説」将門神社・龍光院地蔵堂(柏市岩井)」
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年7月3日
将門が相馬小次郎を称したとされるように旧相馬郡にあたる柏市、我孫子市等には将門由来を伝える寺社が多くあります。柏市の将門神社と将門の娘如蔵尼の建立と伝わる龍光院地蔵堂もその一つです。(錦)#郷土博物館 pic.twitter.com/drimjgP9De
ブックレット『将門と忠常―千葉氏のルーツを探る―』
— 千葉市立郷土博物館 (@chibashikyodo) 2020年7月1日
販売開始‼️
現在開催中のパネル展「将門と忠常」の内容をまとめたブックレット(A5版 100円)を本日から販売いたします。来館された際にお買い求めいただければ幸いです🙏
詳細はhttps://t.co/IIh30Uu5xr
(錦)#千葉市立郷土博物館 #平将門 pic.twitter.com/Po6NYxMu7b
目下、上総広常や両総平氏関係の研究の最前線から、続々と優れた研究成果を発表されている期待の若手研究者の論文を2点紹介します。
— Minoru.Noguchi (@rokuhara12212) 2022年2月19日
ともにネットで読むことが出来ます。これを読まずに、上総広常や両総平氏について云々しない方がいい。「俗流研究」?との違いをよく理解して頂けると思います。
岩橋直樹「中条本『桓武平氏諸流系図』所収の両総平氏系図に関 する覚書 ―-神代本『千葉系図』との記載事項比較を通 じて」(『明治大学 文学研究論集, 48、2018年)https://t.co/MbUyieXdzQ
— Minoru.Noguchi (@rokuhara12212) 2022年2月19日
岩橋直樹「上総介広常誅殺に関する覚書―-特に『吾妻鏡』所収の広常願文をめぐって―」(『明治大学文学部・文学研究科学術研究論集』9、2019年)https://t.co/kbfpkH0QkR...https://t.co/9rhXmvVLBghttps://t.co/g4WjDJAcqi
— Minoru.Noguchi (@rokuhara12212) 2022年2月19日
もう一度貼り直します。https://t.co/0MAOVSdEyshttps://t.co/cYby0Ai699
— Minoru.Noguchi (@rokuhara12212) 2022年2月19日
「Doctor-X 外科医・大門未知子」最終シーズン(第7期、2021)の「東帝大学病院分院」からの眺めにお城が映っていて、どっかで見たなぁと思って考えると千葉市立郷土博物館(亥鼻城模擬天守)だと思いあたりましたので、野口実先生にぜひ知っていただきたいと思い、ここに紹介する次第なのであります pic.twitter.com/X3tSNTCeAM
— 山田邦和 (@fzk06736) 2023年1月14日
不要不急の外出自粛要請を受け、現在、古墳巡りを自粛中。