千葉県を代表する公津原古墳群(こうづがはらこふんぐん)を案内していただいた。公津原古墳群は、総数120基を超える古墳群で、分布から3つの支群に分けられる。成田ニュータウンの建設(1969〜1971年)に伴って64基の古墳が発掘調査された。調査されずに破壊された古墳も多い。40基の古墳が史跡に指定されて保護されている。4世紀の前半から7世紀の後半まで長期間古墳は造られている。7世紀に入ると大型古墳が造られなくなり、龍角寺古墳群と対照的。ちなみに、表記が「公津原」と「公津ヶ原」の2種類があるが、現地の案内板の表記に合わせた。と言っても現地で統一されているわけでもない。公津(ごうづ)は神津の転訛(てんか)か。公津原の西の印旛沼の水運を利用した港があったのであろう。
南の支群の瓢塚(ひさごづか)古墳群は前方後円墳1基、方墳19基、円墳30基。保護されているのは7基。成田郵便局の南の向谷津児童公園に4基ある。
公津原1号墳。円墳。全長25m。
公津原2号墳。円墳。全長23m。
公津原3号墳(瓢塚)。前方後円墳。全長65m。南西に前方部を向ける。後円部、前方部は右で見切れている。
左が後円部、右が前方部。
左手前が後円部、右奥が前方部。
左奥が前方部、右手前が後円部。
後円部の墳頂から前方部
前方部の墳頂から後円部
公津原4号墳。円墳。全長15m。
下の地図の方位は、上が南で下が北。
公津原10号墳の説明板の地図の方位は、上が北で南が下。番号が明記されていないが公津原39号墳、40号墳も記載されている。
成田ニュータウン建設で隠滅した瓢塚40号墳の箱型石棺と瓢塚41号墳の石室が房総風土記の丘資料館に展示されている。
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