週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

毘沙門山古墳 羽生市西

東武伊勢崎線羽生駅北の踏切のすぐ隣の毘沙門堂の境内にある毘沙門山古墳。前方後円墳。全長63m。高さ4.5m。前方部を西に向ける。1903年東武鉄道伊勢崎線の路線敷設のため、前方部西側の一部が切り取られた。この工事中に埴輪片が発見されている。6世紀の築造と推定されている。前方部に古江・宮田両社と浅間神社秋葉神社を祀る。

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前方部の墳頂から後円部を望む。
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くびれ部の墳丘上に剣豪 小沢愛次郎の胸像がある。剣道の中学校正科編入への請願運動に尽力。県会議員、衆議院議員
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「参明藤開山」の石塔。初期角行系の富士山の名号「明藤開山」に角行から別れた行者の月行が「参」の字を冠した。
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後円部の墳頂。使われていない遊具(ブランコ)が放置されていた。
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後円部の墳頂から前方部を望む。
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くびれ部の石段の脇の板石塔婆(武蔵型板碑)。緑泥片岩。古墳の石室の天井石の転用ともいわれる。
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石段の右に金子専一翁之像。金子専一は金子農機株式会社の創業者。かつて羽生駅にあった東西を跨ぐ跨線橋「りくはし」を私財を投じて建設。りくは専一の妻の名。
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くびれ部の小沢愛次郎の胸像と森玉岡翁墓碣銘の碑。森玉岡(もりぎょくこう)は幕末の漢学者。毘沙門堂を私塾にして庶民を教育。なぜか滑り台。
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後円部
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後円部の手前の毘沙門堂
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地蔵尊
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街の中に古墳があるまち | 羽生市

文献

[1] 近藤義郎 1994『前方後円墳集成 東北・関東編』山川出版社

[2] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」さきたま出版会

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