3月26日に寒川町で開催された大神塚(応神塚)古墳の発掘調査の現地説明会に参加した。事前予約制で各回10名で5回を予定していたが午後から雨予報で、午前のみの開催となった。大神塚(応神塚)古墳は、寒川町で唯一の墳丘を保った古墳で、寒川町では大神塚(応神塚)古墳保存目的のための確認調査を平成29年度から実施している。今年度は、後円部裾に2本のトレンチを設定して、後円部裾の立ち上がりと周溝を調査した。来年度は反対側のくびれ部にトレンチを設定するそうなので成果を期待する。
安楽寺の裏手には大神塚古墳(応神塚古墳)があります pic.twitter.com/Kl1a8OIzPT
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2017年1月17日
『日本の神々11 関東』(白水社)の寒川神社の項によると、社地の南東1キロほどの所に"応神塚古墳"と呼ばれる前方後円墳が有り、寒川神社の伝承によると御祭神の奥津城だそうです。この古墳の名称も八幡(応神天皇)説によるものでしょう。
— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年3月6日
この日は寒川神社の裏手にある神嶽山神苑も見学してきました。神苑内の資料館には信玄が奉納した甲冑や寒川町内の応神塚古墳出土の副葬品も展示されています pic.twitter.com/HVbbPN4Sgh
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2017年3月8日
#明治44年(1911)3月10日、『寒川神社志』が刊行されました。当時の宮司・菟田茂丸(うだいかしまろ)が編纂したものです。神社の由緒に関する史料を収集し、#祭神、社地、社殿など12の項目に分けて載せており、この一環で行った大神塚古墳の発掘調査記録も収録。当館で閲覧していただけます。 pic.twitter.com/akIKBPJ9Qc
— 寒川文書館 (@samu_archives) 2019年3月10日
文化財学習センターで開かれた考古学講座を受講。文書館も関わる「茅ヶ崎市寒川町広域連携事業」の一環です。今年のテーマは「#古墳時代」。大神塚古墳は5世紀前半の築造と考えられてきましたが、昨年度の #発掘調査 で出土した管玉や礫群などから、4世紀後半に遡るなど、新しい知見が得られました。 pic.twitter.com/UPYvufO9fD
— 寒川文書館 (@samu_archives) 2019年4月20日
倉見、宮山の遺跡では低地にある前方後円墳という話。時間軸としては海老名の秋葉山古墳→上浜田古墳→応神塚古墳といった流れで、海老名から寒川へ政治の中枢勢力が南下していったように見られる。
— 相模の社を呟く (@sagami_yashiro) 2019年12月1日
平成18年(2006)1月16日、岡田西河内遺跡の #発掘調査 が始まりました。寒川駅北口地区土地区画整理事業に伴い、平成23年までの間に9回に分けて調査が行われました。大神塚古墳の周辺古墳群の #石室 が検出されているのが特徴です。調査報告書は当館で閲覧できます。 pic.twitter.com/nk3hSHI0ht
— 寒川文書館 (@samu_archives) 2020年1月16日
古い神社の近くに古墳あり
— kappa♨️今年は方位ist (@nya123yurayura) 2020年10月3日
寒川神社にも応神塚古墳があり、神社編纂の資料にも説明あった
応神塚古墳の発掘を行うことで神社古来の御祭神を追求し、神社元来の信仰とは何かを問い…
古来の寒川神とは☺️
大神塚古墳【神奈川県寒川町】
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2021年1月31日
相模川に面した高台に位置する全長50mの前方後円墳。明治41年の発掘調査の記録や副葬品により長らく5世紀の築造と見られてましたが、2019年に再調査が行われ、より古い4世紀後半の可能性が出てきました。桜の時期訪れたらきっと綺麗に違いない pic.twitter.com/BUu0sWLBef
応神塚古墳 現地説明会【神奈川県寒川町】
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2022年3月26日
4~5世紀頃に築かれた全長50m以上の前方後円墳。相模国一宮寒川神社にまつわる人物の墓との伝承もあり埋葬施設は明治期に発掘されています。今年度の調査では後円部裾にトレンチが設置され墳裾が検出されました。これにより後円部径は30mと判明したそうです。 pic.twitter.com/yan6IT8yyq
文献
[1] 相原精次・藤城憲児 2000「神奈川の古墳散歩」彩流社