1884年3月2日、当時、東京大学予備門の学生だった有坂鉊蔵(しょうぞう)が根津の谷に面した貝塚から赤焼きの壺を発見した。翌日、東京大学の学生だった坪井正五郎、白井光太郎を現場に連れて行き、壺は坪井にあずけられた。後年になって、これが縄文土器とは異なるものと認められ、発見地の地名から「弥生土器」と名づけられた。
本郷弥生町出土弥生土器(レプリカ、東京大学総合研究博物館所蔵)
弥生式土器発掘ゆかりの地。
異人坂。根津小学校の裏。
東大赤門。
東大浅野地区の地図
武田先端知ビルで見つかった方形周溝墓
「向丘記」の碑
弥生町二丁目遺跡