週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

さくら坂公園と高坂2号墳 東松山市高坂

6年前に、東松山市の高坂館跡・高坂二番町遺跡の発掘調査の見学会に参加した。その時の説明で、調査区は調査終了後に公園となるとのことだった。それから、訪れる機会がなかったが、6年ぶりに訪れたら、さくら坂公園として整備されていた。駐車場もトイレも遊具もある。ところで、高坂館跡・高坂二番町遺跡の発掘調査の報告書は発行されているのだろうか? 発掘調査の見学会のときに、遺構は埋め戻して保存するのかと、説明を担当された方(たぶん市の学芸員の方)に質問したら、破壊を前提とした記録調査とのことだった。当時は、発掘調査の見学会(現地説明会)に参加するのは人生2回目だったので、かなりショックを受けた。 東松山市教育委員会の説明板には「昔の人の歴史を未来に伝えていくために、この文化財を大切にしましょう。」とあるが、この公園の下に遺構は保存されているとは書かれていない(高坂2号墳が保存されていることは書かれている)。実際はどうなのだろう。文化財は大切にされているのだろうか?

f:id:kofunmeguri:20240804231529j:image
f:id:kofunmeguri:20240804231527j:image
f:id:kofunmeguri:20240804231609j:image
f:id:kofunmeguri:20240805203229j:image
f:id:kofunmeguri:20240805203329j:image
f:id:kofunmeguri:20240804231521j:image
f:id:kofunmeguri:20240804231637j:image
f:id:kofunmeguri:20240804231524j:image

高坂2号墳
f:id:kofunmeguri:20240805203049j:image
f:id:kofunmeguri:20240805203052j:image
f:id:kofunmeguri:20240805203042j:image
f:id:kofunmeguri:20240805203046j:image
f:id:kofunmeguri:20240805203055j:image

遺跡がいっぱい! 公園で見つかった歴史 〜高坂館跡・高坂二番町遺跡

発掘調査で、弥生〜江戸時代までの様々な遺構・遺物 がみつかりました。

古墳時代初めごろ(約1700年前)につくられた、一辺が8mもある大きな住居跡からは土器のほか、勾玉もみつかりました。集落の中心的な役割を持つ施設と考えられます。

古墳時代後期(約1500年前)の古墳跡からは、円筒埴輪・朝顔形埴輪のほか、盾を持ち、古墳を守る人を表現した埴輪(盾持人埴輪)もみつかりました。

墳丘(古墳の盛り土)が残っている高坂2号墳は公園内(この看板の右手奥)で大切に保存してあります。

中世・武士の館跡もみつかりました。特に戦国時代の堀跡は、深さ3mもあり、戦乱の世のすさまじさを物語る遺構です。

昔の人の歴史を未来に伝えていくために、この文化財を大切にしましょう。

東松山市教育委員会

東松山市文化財保存活用地域計画(東松山市教育委員会、令和6年3月)より
f:id:kofunmeguri:20240806042157j:image

埼玉県立さきたま史跡の博物館の企画展「盾持人埴輪の世界」で展示された高坂館跡・高坂二番町遺跡1号古墳跡出土の盾持人埴輪
f:id:kofunmeguri:20240806040913j:image
f:id:kofunmeguri:20240806040911j:image

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村