明治大学駿河台キャンパスのアカデミーコモンで開催された第63回考古学研究会東京例会「特集・東北南部~東関東の弥生文化」に参加(聴講)した。
プログラムは、杉山浩平氏(考古学研究会東京例会・東京大学)による開会挨拶・趣旨説明「いま、なぜ東関東の弥生文化を問うのか」、小玉秀成氏(小美玉市役所)による報告1「東関東~浜通りにおける、弥生時代中期後半土器の属性影響とその背景」、小林嵩氏(千葉市教育振興財団)による報告2「東北地方南部~東関東地方における大陸系磨製石器製作と流通」、最後に質疑応答。全体で約3時間。
杉山氏の趣旨説明では「関東地方の弥生文化の研究は、学史的に俯瞰すると南関東と北関東を対比的にとらえ、両地域を中心に語られてきた。今回は、近年研究の進展が著しい東関東に着目して、南東北地方との交流に焦点を当てる。土器と石器の分析から、弥生時代中期の関東地方における多彩な交流の姿を見てみたい。」とのことで、報告1では小玉氏が弥生時代中期後半の東北中南部〜東関東にかけて展開する胴部上半に渦巻文、ないし同心円文を施した土器(同心円文・渦巻文系土器群)の属性影響と地域間関係、その背景として、有角石器等・武器形青銅製祭器の情報の伝播、居住・集落・集落群の変化について報告した。報告2では小林氏が弥生時代中期後葉の東北南部〜東関東地方の足洗式文化圏(土器様式としては天神原式・足洗式の分布圏)における大陸系磨製石器類(太形蛤刃石斧、抉入柱状片刃石斧)製作の具体像とその流通範囲を示し、弥生中期後葉における当該地域の特性について報告した。足洗式文化圏は、環濠集落が存在せず集落が小規模で、墓制は土壙墓や土器棺で方形周溝墓はなく、他地域とは文化圏が異なることが強調されるが、大陸系磨製石器類の製作と流通からは、隣接地域との密接な交流を見ることができるとのこと。
明治大学で販売中の #明大茶 のラベルに創立者3名が紹介されています!
— 明治大学博物館(Meiji University Museum) (@meiji_museum) 2024年8月6日
現在、学生数約33,000名、教員数約2,900名ですが、1881年(明治14)創立時、学生は44名、教員は創立者の3名でした!😲
明治大学の詳しいあゆみは大学史展示室でぜひご覧ください✨#明治大学博物館 #明治大学史資料センター pic.twitter.com/KoGEcvDsOg