佐倉市市民体育館から佐倉市の史跡に指定されている山崎ひょうたん塚古墳に向かった。途中、岩名天神前遺跡に立ち寄った。現在は、宮前中央公園になっている。佐倉市教育委員会が建てた標柱によれば、1963年(昭和38年)、耕作中に偶然土器が発見、土器は関東地方で最古の段階に位置づけられる壺形土器で、同年(と翌年も)明治大学が調査を実施、弥生時代中期の墓地で「再葬墓」と呼ばれる墓制が営まれていたことが明らかになったとのこと。文献[1]に杉原荘介さんと大塚初重さんのお名前。明治大学博物館の明治大学考古学発展史のパネルの真ん中あたりの「再葬墓の研究」のところに天神前遺跡出土土器の写真がある。2017年2月に開催された佐倉市岩名天神前遺跡公開シンポジウムでは大塚初重さんが「岩名天神前遺跡発掘の思い出」というタイトルで記念講演をされている。このシンポジウムは市指定史跡の本遺跡の県指定史跡、国指定史跡への昇格の気運を盛り上げることを狙って開催されたそうだ。
岩名天神前遺跡
天神前遺跡は、昭和三十八年、耕作中に偶然発見された土器によって知られることとなった。 関東地方の弥生時代において最古の段階に位置づけられる壺形土器の発見は注目を集め、同年明治大学による調査が実施された。
調査の結果、天神前遺跡は弥生時代中期の墓地であり、遺体を埋葬、白骨化した後、洗骨し、再びや甕に埋納す「再葬墓」と呼ばれる特徴的な葬制が営まれていたことが明確になった。また、採集された遺物には縄文時代最終未の土器も含まれており、縄文時代後期以降も集落や貝塚が営まれていたことが明らかである。
岩名天神前遺跡の隣に鎮座する岩名麻賀多神社。天神ではない。2017年2月のシンポジウムの蕨由美さんのコラムによれば、岩名麻賀多神社脇にあった手水石の正面の天神の神紋の梅鉢紋、側面の文化七年(1804年)の銘から天神前の小字の由来になった天神があったことの証とのこと。
道祖神と仙元神社
佐倉市の文化財-史跡(1)「城跡・遺跡・古墳」/千葉県佐倉市公式ウェブサイト
病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース) アート・歴史から考える死生観とグリーフケア 岩名天神前遺跡 壺型土器・甕型土器 (明治大学博物館蔵)
12/5 岩名天神前遺跡の縄文晩期終末期資料の見学会 : やちくりけんブログ
2.19岩名天神前遺跡シンポジウム速報 Ⅰ : やちくりけんブログ
岩名天神前遺跡ー関東の弥生時代の謎を解くー - hirokok510さんの日記 - ヤマレコ
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文献
[1] 杉原荘介 1964「千葉県天神前遺跡における晩期縄文式土器」駿台史學 15
[2] 渡辺修一 1986 「関東地方における弥生時代中期前半の地域相」『千葉県文化財センター研究紀要10』千葉県文化財センター
[3] 春成秀爾1993「弥生時代の再葬制」『研究報告』第49集 国立歴史民俗博物館
[4] 縄文時代終末期研究会 2008 「佐倉市岩名天神前遺跡調査報告」『印旛郡市文化財センター研究紀要6』印旛郡市文化財センター
[5] 植木雅博 2020「資料報告 千葉県佐倉市岩名天神前遺跡における再葬墓出土資料の再報告」『明治大学博物館研究報告』第25号 明治大学博物館