次に中根八幡前遺跡を訪れた。中根八幡前遺跡は、1951年に野田市で初めて発見された竪穴住居跡(5m X3.85mの長方形)で、その後の研究で古墳時代初頭(4世紀頃)の遺跡とされている。かつて復元住居があったが老朽化により1998年に解体された。床に柱穴がなく、垂木で家全体を支える入母屋造りであったと考えられている。中根八幡前遺跡から出土した古墳時代前期(五領式)の小型壺と直口壺を野田市郷土博物館の企画展で鑑賞した。
万葉集の「葛飾早稲」の産地ゆかりの地として、1952年に歌碑が建立された。なお、「葛飾早稲」の歌碑は、埼玉県三郷市早稲田の丹後稲荷神社、千葉県流山市の諏訪神社、茂侶神社にも建っている。
野田市指定第2号(史跡) 昭和44年(1969年)4月23日指定
中根八幡前遺跡は、野田市で初めて発見された竪穴建物跡です。昭和26年(1951年)4月に発見され、まもなく発掘調査が行われました。調査の結果、5メートル×3.85メートルの長方形の竪穴建物跡で、柱穴はなく、中央やや北よりに炉が発見されました。床面には、炭化した木材や焼土がみられたことから、この住居は火災にあったものと推定されます。
発掘当初、遺構の時期は、弥生時代末期に位置づけられましたが、土器の編年研究の進歩にともない、今日では古墳時代初頭(四世紀頃)のものとされています。周辺には桜台遺跡や上野馬込遺跡など同じ古墳時代の集落跡があります。
なお、遺跡の発見により、昭和27年(1952年)12月に野田地方文化団体協議会は、戦後の地域文化の振興のために、万葉集の「葛飾早稲」の産地ゆかりの地として、歌碑を建立しました。書は国文学者の尾上紫舟博士によるものです。
万葉集巻十四 東歌
鳰鳥(におどり)の葛飾(かつしか)早稲(わせ)を饗(にお)すとも
其(そ)の愛(かな)しきを外(と)に立(た)てめやも
鳩鳥とは、カイツブリのことを指し、水をかつぐという意味を葛飾にかけた枕詞。秋に収穫した 新しい穀物を神に供えることを新嘗という。葛飾の早稲を新嘗するときは、男性の来訪を忌み慎む 慣わしがある。たとえ家人の男性といえども家に入ることを許さない厳しい戒律である。しかし、 愛しいあなたが訪ねてくれば、そのまま家の外に立たせておくことはできない、という女性の恋心を表した歌である。
中根八幡前遺跡(なかねはちまんまえいせき)|野田市ホームページ