週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

武蔵一宮 氷川神社 さいたま市大宮区高鼻町

大宮の地名の由来にもなった武蔵一宮 氷川神社。東京、埼玉に約280社ある氷川神社の総本社。氷川信仰に基づく氷川神社は旧武蔵国足立郡を中心に分布する。

楼門
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戦艦武蔵の碑
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さざれ石
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大絵馬
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三の鳥居
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由緒

氷川神社は今から凡そ二千有余年前、第五代孝昭天皇の御代3年4月未(ひつじ)の日の御創立と伝えられます。当神社は、歴朝の御崇敬・武将の尊敬も篤く、景行天皇の御代日本武尊(やまとたける)は東夷鎮定(とういちんてい)の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命(えたもひのみこと)が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き、聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められました。醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預り又臨時祭にも奉弊に預かっております。武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の各将軍家等相継いで尊仰し、奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、祭祀も厳重に行われておりました。

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参道
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二の鳥居
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ひょうたん池
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武蔵一宮 氷川神社

さいたま市/文化財紹介 大宮氷川神社摂社門客人神社本殿・摂社天津神社本殿・末社御嶽神社本殿

大宮の氷川神社の位置付けには武蔵国一宮と三宮の2説ある。後者の説では東京都多摩市の小野神社を武蔵国一宮とする。

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