今年も加曽利貝塚の現地説明会に参加した。今年は3年間の調査の最終年。調査の目的は加曽利貝塚の最期の姿を明らかにすること。今年の調査期間は6/28〜12/7の約5ヶ月、去年は約4ヶ月、一昨年は約2ヶ月。調査区は去年と同じ南貝塚の北の部分(25x28m2)。今年はさらに掘り下げた。加曽利貝塚は縄文時代の中期から後期の貝塚として知られる。これまで晩期についてはよくわかっていなかった。今回の調査で晩期の竪穴住居跡が3つ見つかった。ある程度の大きさ(掌ぐらい?)以上の遺物で1万点見つかった。
今回はモノレールの桜木駅で下車。駅にポスターが貼られていた。
駅から加曽利貝塚までの経路の随所に案内板があるので迷う心配はない。
大勢の見学者
西から調査区の南側。昨年、調査区を横切っていた電源ケーブルは、今年はなかった。調査区を迂回するように付け替えられていた。
西から調査区の北側
表土の下の黒色土を掘り下げて露わになった北西の角の貝層。
昨年、土製耳飾りや石剣が見つかった北側の竪穴住居(85号住居跡、縄文晩期)。去年は残っていた住居跡の周りの黒色土が掘り下げられているので、だいぶ印象が変わった。南側の斜面の傾斜の低い方に出入口があったと推定される。
去年は未調査だった南側の竪穴住居跡は、南側の半分が床面まで掘り下げられ、縄文晩期の大型居住跡(直径13m)であることが確認された。直径13mだと床面積は40坪ぐらいになる。
東から
南東から
南から、棒で示した穴は炉跡。
居住跡の南西側に出入口
貯蔵用の穴
南西から
西から
北西から
85号住居跡の東側の貝層(縄文後期)。
1964年の調査(Vトレンチ4区)で取り上げず埋め戻されていた2体の人骨の保存状態が良くなかったため、今回の調査で取り上げた。人骨のあった場所を示している。この調査で縄文中期の竪穴住居跡が確認された。
東から調査区の北側
東から調査区の南側
縄文後期の溝。縄文時代の溝は発見例が少なく珍しい。集落から坂月川に降りていく道か?溝の左(南)の白線は縄文晩期の竪穴住居跡。
西から、西側にも縄文後期の溝がある。
博物館前のテントで発掘調査で見つかった遺物を展示していた。
瓢形注口土器。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2019年11月30日
底にも丁寧な文様がある。
蓋形土器もある。
去年出土した耳飾りも露出展示の大サービス。
今年で発掘は一段落。
整理作業で何が出てくるか。
従来の縄文観が覆る予感。 pic.twitter.com/E8XKeeloXe
快晴に恵まれ、朝から大勢の来場者の皆さんが「発掘調査現地説明会」に参加されています。説明会はこのあと13時から15時30分まで実施します。発掘現場を間近で見られる絶好の機会ですので、ぜひご来場ください。17時30分からは「ナイトミュージアム」を開催します。https://t.co/IZ5BiXH1qs #千葉市 pic.twitter.com/9dwICZnpuN
— 加曽利貝塚博物館 (@kasori_jomon) 2019年11月30日
去年の発掘調査の現地説明会と加曽利貝塚のブログ記事
加曽利貝塚の船着場で考えた🤔
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月26日
縄文時代後・晩期の遺跡は環状盛土遺構(貝塚)と水場遺構がセットになっている。
それが千年の繁栄をもたらしている。
しかしその全貌が明らかになった遺跡はほとんど無い。
しかし加曽利貝塚は全貌が無傷で保存されている。
都会の真ん中に残っていることは奇跡です。 pic.twitter.com/rfBG5gx0OQ
今、新しい史跡整備計画のなかで新博物館が残された低地に予定されている。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月26日
それにともない低地も整備されるだろう。
多分、発掘調査も予定されているだろう。
大量の土器とともに水場遺構や船着場も出るはず。
加曽利貝塚の凄さはまだ半分だけ。
これから本当の姿が見えてくると思うとワクワク😆