週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

貝の花遺跡 松戸市小金原

松戸市立博物館の館蔵資料展「どきどきクロノロジー」の層位学的方法の説明のモチーフとなった貝の花遺跡を訪れた。貝の花公園の模擬古墳のような丘状の頂に、貝の花遺跡から出土した土偶をモチーフとした記念碑がある。「どきどきクロノロジー」の展示パネルによれば、貝の花遺跡は、縄文時代中期〜晩期の集落跡。1964〜1965年に発掘調査が行われ、多数の竪穴住居跡、墓、貝塚などが見つかった。遺跡から見つかった縄文土器は、層位によって、I〜VIII群の8グループに分けられ、同展では、特に出土量が多かったIII, IV, V, VI, VII群土器を展示して、それぞれの特徴を解説していた。

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海抜25メートルの八ヶ崎台地を基部として東に伸びた台地と、佐野を基部として北に伸びた台地とが、藤川支流をはさんで東西に相対している。

双方ともにその縁辺には貝塚が形成されていた。東を若芝貝塚と称し、西を貝の花貝塚と呼んだ。

貝の花貝塚は面積64アールの馬蹄形貝塚で、縄文式中期の遺構を主体とした全く完璧な貝塚であったが、昭和40年にこの地は日本住宅公団の宅地開発により、一帯にわたって整備を図ることとなった。

市はこのため事前に記録保存することとして発掘調査を行ない、35戸の竪穴住居跡と40体の埋葬人骨を初めとする数多くの遺物を収録した。

これを記念して、本貝塚より出土の土偶をモチーフとした記念碑をここに建てる。

昭和45年11月 松戸市教委委員会 松戸市文化財審議会

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市立博物館学芸員による松戸の歴史解説「貝の花の不思議な土器」 松戸市立博物館|松戸市

貝の花遺跡|スポット|松戸市デジタルミュージアム

若芝遺跡|スポット|松戸市デジタルミュージアム

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