週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

「縄文文化のはじまり~八ヶ上遺跡全部見せます~」 水子貝塚資料館

富士見市水子貝塚資料館で開催中の企画展「縄文文化のはじまり~八ヶ上遺跡全部見せます~」を鑑賞した。本展は、富士見市関沢の八ヶ上(はけうえ)遺跡を中心に、縄文時代草創期(約1万6000〜1万5000年前)の富士見市や埼玉県内、神奈川県の遺跡の出土品を展示する。

八ヶ上遺跡は、1973年(昭和48年)に発掘調査された第2地点から隆起線文土器と石器群が多数発見され学会でも著名な遺跡となったが、一部の土器と石器が概報として報告されたのみで、ほとんどの資料が正式には発表されていないため、今回は第2地点から出土した縄文時代草創期の土器や石器を全て展示するとのこと。個人的には、西大宮バイパスNo.4遺跡の黒曜石の尖頭器・スクレイパーがカッコよかった。資料(土器や石器)の観察用に自由に使用できるハンディライト(LED懐中電灯)が置かれていたのも良かった。

主な展示資料:

  • 八ヶ上遺跡の縄文草創期土器(隆起線文土器、押圧縄文土器
  • 八ヶ上遺跡の縄文草創期石器(有舌ゆうぜつ尖頭器せんとうき、石鏃せきぞくほか)
  • 羽沢(はねさわ)遺跡ほかの尖頭器
  • 南通(みなみどおり)遺跡ほかの有舌尖頭器
  • 南通遺跡の爪形文土器と谷津遺跡の押圧縄文土器
  • 西大宮バイパスNo.4遺跡(さいたま市)の尖頭器
  • 小岩井渡場わたっぱ遺跡(飯能市)の隆起線文土器と石器(尖頭器ほか)
  • 花見山遺跡横浜市)の隆起線文土器と石器(有舌尖頭器、石鏃ほか)

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国指定史跡 水子貝塚

昭和44年9月9日指定 指定面積39,347㎡

富士見市は、日本最大の平野である関東平野の一角にあります。 関東平野は富士山などの火山灰が堆積してできた関東ローム層の台地と、利根川や荒川などの大きな川が流れる低地からなります。富士見市は、西 半分が武蔵野台地、東半分が荒川低地の上に広がっています。この低地に、縄文時代は海が広がっていました。海の幸を求めて集った人々は台地の上に多くの貝塚を残しました。その中でも最も大なものが 水子貝塚です。

水子貝塚は、昭和12年(1937)に発見され、昭和13年(1938)・14年(1939)・42年(1967)の3回の調査によって縄文時代前期中頃(約5500年前)の小貝塚が多数環状に分布していることや、小貝塚は竪穴住居の跡に貝殻が捨てられたものであることなどが明らかになりました。

これらの成果から昭和44年(1969)に「縄文時代前期の多くの小貝塚からなる大規模な貝塚群のひとつであるとともに、小貝塚の分布から貝塚形成当時の集落の規模形態を推測しうる遺跡の遺存状況も良好である。」として、国史跡に指定されました。

昭和45年(1970)から、23年の年月をかけ指定地の公有化を進めました。

平成3年(1991)には、史跡等活用特別事業("ふるさと歴史の広場"事業)に採択され、国と埼玉県の補助金の交付を受け整備事業を開始しました。

平成6年6月1日、水子貝塚公園(愛称「縄文ふれあい広場」)として一般公開されました。

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