南麻布の駐車場の土留めの煉瓦にあの刻印。
東京市電気局の徽章の刻印?
広尾の庚申塔
庚申信仰は、庚申の日の夜に体内に住む三尸虫(さんしちゅう)が、眠っている間に体内を抜け出して、天帝にその人の罪科を報告して生命を縮めるといわれているため、眠らずに一晩を明かすもので、講の形をとって地域住民の交際の場となっていました。庚申塔は庚申信仰を具象的に表現する塔として、室町時代後期以後各地で盛んに建てられま した。
三基とも方形角柱の笠塔婆型で、塔身が太く、堂々としています。社伝によれば、広尾稲荷神社の別当寺であった千蔵寺の住持祐道の代に、講の人々の浄財を得て立てられたものです。三基のうち、中央には元禄三年(1690)、左には元禄九年の年号があり、右は摩滅のため年代不詳ですが、状況から左の二基よりも古い可能性があります。庚申信仰が全国的に盛行している時代の産物であり、この地域も例外ではなかったことがわかります。 庚申信仰の実態は、この地域ではすでにほとんど失われ、過去の組織の状況を伝えるものも全くありませんが、 さまざまな要素を合成しながら、自主的な民間信仰として、庶民の間に行われてきたものであり、都心化したこの地域での、かつての信仰のあり方を想起させる遺物として、三基の庚申塔は貴重な存在となっています。
昭和五十五年十一月十五日指定(平成二十二年三月建替)
港区教育委員会
廣尾稲荷神社