週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

上の平遺跡 甲府市下向山町

発掘された日本列島2023展を鑑賞した後は、甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園を散策。
風土記の丘研修センター
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野外ステージ、遊具広場
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上の平遺跡 方形周溝墓群
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上の平遺跡

御坂山系の山なみから、甲府盆地にせり出したこの小高い丘は、會根丘陵と呼ばれ、県下で最も遺跡の多い地域として知られています。中でも、ここの上の平遺跡は、東西にのびる會根丘陵のほぼ中央に位置し、数万年前からの人々の生活の足跡が認められる。貴重な遺跡です。

この遺跡での最も古い生活跡は、先土器時代にさかのぼり、当時の人々が道具として使用した石器が発見されています。隣の立石遺跡からは、今から2万年前の地層から同じような石器が発見されているので、このあたりは、甲府盆地最古の人々が多く集まっていた場所と思われます。

4〜5000年前の縄文時代中期の住居や土器・石器も多く発見され、この地域の中心的な集落が営まれていたようです。住居や墓、貯蔵穴の中からはクリ・クルミなどの炭化物も発見されています。

弥生時代の終わりから古墳時代の初めのものでは、東日本最大級と言われる128の方形周溝墓群と、20軒ほどの住居跡が発見されています。方形周溝墓と住居群は地域が区切られており、集落と墓地が意識的に分けられていたようすがわかります。この公園の南側にある宮の上遺跡や立石遺跡からも、同時代の集落が発見されているので、上の平方形周溝墓群は周辺の集落を含めた共同の墓地と見ることができます。

ここに復元されている方形周溝墓は128のうちの35基で、発掘された元の位置に盛り土して整備してあります。南側にある最大規模の1号方形周溝墓と、隣の2・3号方形周溝墓の3基は、溝を掘って中央部に土を盛り上げて復元をし、そのほかの方形周溝墓は溝の部分にレンガをはり、中央部にはツツジなどを植えてあります。

この上の平遺跡は、それぞれの時代の人々の生活をパックし た、《タイム・カプセル》といえます。

展望台の上から
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迷路案内
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方形周溝墓広場(ほうけいしゅうこうぼひろば) 迷路案内

この広場は、レンガと芝生保護材(芝生の上にのせてあるプラスチックの網)を歩道として、A地点よりB地点を結ぶ迷路としてつくられています。

芝生の上や低木の刈り込みのなかを歩いたりせず、また、他の利用者に迷惑をかけないように注意しながら、迷路を解き明かしてみてください。

うまく通り抜けができたら、この広場北側に見える木製の展望台に登って、自分が迷った道や、迷路全体をみわたしてみて下さい。全体の大きさや複雑な地形がひと目でわかります。そして、方形周溝墓の解説板をお読みください。

みなさまが頭をひねり、汗をかきながら通り抜けるこの迷路は、はるか1700年ほど前の弥生時代末から古墳時代のはじめの、道具もそまつな時代に、我々の先祖が自らの手で造った方形周溝墓というお墓の溝の跡でもあるのです。

迷路を解きながら、方形周溝墓の大きさや形を実体験として勉強してみてください。

3基の復元方形周溝墓
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公園入口(入口広場)
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「中道ふるさとかるた」の「ま」で「間門坂行くも迎うも庚申塔」 この辺りが立石遺跡? 
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文献

[1] 山梨県教育委員会 1980 『上の平山梨県教育委員会

[2] 山梨県埋蔵文化財センター 1991 『山梨県埋蔵文化財センター調査報告書59:上の平遺跡山梨県教育委員会

[3] 山梨県埋蔵文化財センター 1999 『山梨県埋蔵文化財センター調査報告書173:甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園山梨県教育委員会

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