週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

猪方小川塚古墳 現地解説(10/30) 狛江市猪方

10月30日に、東京都文化財ウィークの企画として、狛江市の猪方小川塚古墳で、調査時に出土した遺物等の展示と現地解説が実施されたので参加した。遺物を見学した後に、狛江市教育委員会の宇佐美さんの解説を拝聴した。猪方小川塚古墳の石室保存の経緯と意義について説明があった。また、多摩川流域の横穴式石室に関して、猪方小川塚と同じ玄室が長方形の石室と、胴張形の2系統あり、狛江より下流の左岸は長方形で、下流の右岸および上流の両岸は胴張形と分かれている。胴張形は北武蔵に源流があり、南武蔵に伝播したとのこと。解説の後で、日本書紀武蔵国造の乱との関係、野毛大塚のイベントで寺田さんから聞いた野毛の埴輪と群馬の関係について質問したところ、狛江でも土屋塚の埴輪は群馬の工人の製作(土は地元)だが、亀塚は比企地方の埴輪と変化している、国造の乱は全てが史実とか作り話とかではなく、何かしらの背景を反映していると考えるとのこと。

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この日は石室内部がライトアップされていたので観察しやすかった。

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前室と玄室の手前、奥で、敷石の大きさが違う、玄室の敷石の下から切石の床が確認され二重構造になっているなど解説していただいた。

解説を拝聴した後で、北武蔵と南武蔵の関係について考えてみた。北武蔵を代表する生出塚の埴輪は、多摩川の対岸(右岸)の川崎市の古墳で見つかるが、左岸の野毛では見つからない。東京だと赤羽台古墳群で見つかる。そこで、赤羽台古墳群の横穴式石室の形状を調べたら、長方形(3,4号墳)と胴張形(5,7号墳)の両タイプがあり、長方形は6世紀後半の築造で東に開口するのに対して、胴張形は7世紀前半の築造で南に開口する。生出塚の埴輪が出土したのは4号墳で、埼玉古墳群の将軍山古墳の横穴式石室の石材にも使用された房州石(房州磯石)が使われているのは長方形の石室の3,4号墳。切石ではなく扁平な形状の自然石。ちなみに、猪方小川塚の石室の石材は多摩川の泥岩の切石。全てを国造の乱の二項対立で解釈できるわけはないと悟る。

野毛大塚のイベントでの寺田さんのお話は

11月21日に寺田さんの講演を拝聴できる

マンホールの蓋
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「狛江の花火」がデザインマンホールになりました(1267号1面) - 狛江市役所

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