週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

大安場史跡公園 (その1) 郡山市田村町大善寺大安場

かつて大きな古墳がなかったため「古墳文化の通り道」と揶揄されていた福島県中通り。1991年春に「あの山の奥に堀のようなものがある」との情報を得て山に入ると古墳としか思えない地形に調査員は足を震わせた。郡山市の盆地を見下ろす尾根の先端は、地元で「東館」と呼ばれていた。1995年2月、地形を計測する調査の準備中に調査員が一片の土器片を拾った。すぐに古墳時代前期の土器と判明する。調査の結果、大型の前方後方墳1基と他に複数の古墳があることが判明。古墳の解明を目的とした発掘調査が1996年から1998年、2002年から2014年に行われた。大安場史跡公園は2009年4月に開園した。

ガイダンス施設から見上げた大安場1号墳。南にせり出した山の尾根を利用した東北地方最大の前方後方墳。全長83m。4世紀前半の築造。
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1号墳。左手前が前方部、右奥が後方部。
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前方部の墳頂から後方部。墳頂には埴輪を巡らす。よく見ると前方部と後方部の軸がすれている。尾根を利用したため。
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前方部の墳頂からガイダンス施設。屋根の形が1号墳から出土した腕輪形石製品(石釧)の形を模している。
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前方部の墳頂から2号墳を見下ろす。
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後方部の墳頂。埋葬状況が示してある。後方部の墳頂は中世に1.5mほど掘削されていたが木棺の底の窪みと、腕輪形石製品、大刀、槍、剣などの武具、農耕具が出土した。棺材は見つかっていない。ケヤキか。ヒノキか。
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後方部の墳頂から前方部と2号墳。
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後方部の東側の墳丘下から。
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発見の丘、冒険広場。古墳時代をモチーフにした用具などがある。
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南の墳丘下から、後方部。
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北東から。右手前が前方部、左奥が後方部。
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大安場史跡公園

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