東京ドーム脇の後楽園スタヂジアム跡地に保存された旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ。
旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ
明治4年(1871年)に建設された旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ。昭和12年(1937年)、旧後楽園球場建設の際は、基礎のあまりの強固さにグランド部分は取り除くのを見合わせていたが、平成12年(2000年)竣工の東京ドームホテル建設を進めるにあたり、地下5mの深さより出土、採取。
現在地は旧後楽園球場のセンター位置にあたる。
市兵衛河岸
市兵衛河岸(いちべえがし)
河岸とは、物資輸送のために水ぎわに作られた物揚場(ものあげば)などの施設のことである。この河岸の名は、江戸時代の中頃まで、現在の後楽2-1-18あたりに“岩瀬市兵衛”の屋敷があったことによる。市兵衛河岸は、飯田橋駅近くの船河原橋から水道橋までの神田川沿いの一帯で、江戸切絵図にもこの名が見える。この河岸は、明治8年から昭和8年まで現在の後楽園遊園地一帯にあった“砲兵工廠”の荷揚場としてにぎわった。明治時代、この河岸から早船といわれた客船が神田昌平橋まで往復していたこともあった。町名としての市兵衛河岸は、昭和39年の住居表示の施行により後楽1丁目となり、この名は消滅した。
東京都文京区教育委員会 平成元年3月
ポケットパーク テーマ「水」
神田上水石樋の石
ここに使われている石は、江戸時代に神田上水で使われていた石樋(せきひ)の一部で、昭和六十二年、外堀通りの工事中に現在の水道橋付近から発掘されたものです。
神田上水とは近世都市の江戸で最初に整備された上水道であり、徳川家康が江戸入りと同時に造らせたと言われています。水源となる井の頭池の湧水を、大洗堰(現在の文京区関口)を経てから水戸屋敷(現在の小石川後楽園一帯)に入れ、そこから先は暗渠(地下の樋)で通しています。この暗渠で使われていたのが、石樋(石で作った樋)です。なお、お茶の水坂からは、掛樋(木で作った樋)で神田川の上を横断させて、神田・日本橋方面に飲料水として給水されていました。
文京区