週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

新山貝塚 船橋市中野木

中野木台遺跡 遺跡見学会で「中野木周辺の遺跡説明板・文化財説明板」の地図をもらったので、散策した。中野木台遺跡の西に隣接する新山貝塚(しんやまかいづか)。

中野木1丁目公園
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新山貝塚1次調査地点(中野木1丁目)

新山貝塚(しんやまかいづか)1次調査地点は、マンション建設に先行して平成17年に発掘調査が行われ、縄文時代と中世(14〜16世紀)の遺跡が見つかりました。調査地内の南部には縄文時代早期前葉(約11000年前)の遺構や縄文土器片・石器等が発見され、敷地内の北部は縄文時代中期末(約4500年前)の縄文土器片・石器等が出土しました。また、中世(14〜16世紀)の屋敷の一部(台地整形区画)などが見つかっており、中国からの輸入銭(元豊通寶)が出土しています。

平成29年3月 船橋市教育委員会

中野木1丁目2号公園
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新山貝塚4次調査地点(中野木1丁目)

中野木から駿河台にかけての台地全体には、新山貝塚(しんやまかいづか)を含めた遺跡が広がっています。新山貝塚4次調査地点では、縄文時代中期後半〜後期前半(約4700〜4000年前)の竪穴住居跡5軒、小竪穴(貯蔵穴)12基などがみつかりました。

竪穴住居跡の1軒は柄鏡形(えかがみがた)住居という特殊な形でした。貝塚の調査もおこなわれ、イボキサゴが大量に捨てられていました。一方、ここから約200m東にある中野木台遺跡の貝塚は、今回の調査地点よりもやや古く、ハマグリを主体としたもので、採取する貝が時期によって変化し ていることがわかりました。

令和2年3月 船橋市教育委員会

文献

[1]  船橋市教育委員会文化課埋蔵文化財調査事務所 2006 『平成17年度 船橋市内遺跡発掘調査報告書船橋市教育委員会

[2]  パスコ 2019 『新山貝塚(4)船橋市教育委員会

[3]  船橋市飛ノ台史跡公園博物館 2023 『変化する縄文の暮らし 船橋の縄文時代後期船橋市飛ノ台史跡公園博物館

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