甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園を散策の続き。
東山南遺跡
東山南遺跡 (ひがしやまみなみいせき)
この遺跡は平成元年(1989)と平成2年(1990)に発掘調査が行われ、現在は「花の広場」 と「勾玉広場」として整備されています。 この「花の広場」では、弥生時代後期(約1,700年前)の方形周溝墓2基と、古墳時代中期(約1,600年前)の円形周溝墓8基・方形周溝墓1基が発見されました。このうち古墳時代の4号墓は、一辺が約9mで溝が方形にめぐり、その中からは土師器・須恵器・直刀・鉄矛等が出土しました。
出土した遺物の特徴から、東山南遺跡では5世紀の前半から中頃に「勾玉広場」の周溝墓群が築造され、それに続いて5世紀中頃から後半に「花の広場」の周溝墓群が造られたものと考えられます。
花の広場
勾玉広場
東山南遺跡
この遺跡は、東山台地の北側の先端で、標高340mの最高地点の北側と東側に広がっています。今から1800年ほど前の弥生時代末の方形周溝墓2基と住居跡1軒、古墳時代の5世紀中頃に造られた周溝墓11基が発見されました。この東には直径22mと25mの2基の周溝墓(低墳丘墓)が並び、溝からは県内最古の須恵器樽型𤭯(はそう)や把手付椀が出土して注目されました。北側斜面のグループからは須恵器把手付椀や、鉄刀、土師器などが発見されました。須恵器樽型𤭯や把手付椀は当時の貴重品で、相当な地域有力者達の墓域と思 われます。
弥生時代竪穴住居跡
弥生時代竪穴住居跡
今から1800年ほど前の弥生時代後期に造られたこの家は、長さ4.8m、幅3.6mの隅丸方形をしており、全体を深さ20〜30㎝掘り下げられた竪穴住居です。柱は4 本あり、北側の真ん中にいろりがあります。入り口は南にあったようです。家の中からは、完全なかたちの壺をはじめ、煮炊きをする台付甕、甑などが出土しました。盆地を見下ろす見張り小屋でしょうか、南にある宮の上 遺跡などの大きな村から離れて、たった一軒で暮らして いた様子がしのばれます。
文献
[1] 山梨県埋蔵文化財センター 1989 『山梨県埋蔵文化財センター調査報告49:鍋弦塚・東山南遺跡』山梨県教育委員会
[2] 山梨県埋蔵文化財センター 1991 『山梨県埋蔵文化財センター調査報告64:東山南(B)遺跡』山梨県教育委員会
[3] 山梨県埋蔵文化財センター 1993 『山梨県埋蔵文化財センター調査報告書76:東山南(A)遺跡』山梨県教育委員会