週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

シンポジウム「特別史跡埼玉古墳群のこれから」(3/11)

3月11日にシンポジウム「特別史跡埼玉古墳群のこれから」に参加した。2020年3月の埼玉古墳群の特別史跡指定を記念して、2020年3月に埼玉県教育委員会行田市教育委員会と共催でシンポジウム「埼玉古墳群 史跡から特別史跡へ」を計画したが新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となった。その時の会場は行田市の埼玉県総合教育センター大研修室だった。それから3年が経ち、シンポジウムが開催できる環境となり、埼玉県立さきたま史跡の博物館が行田市教育委員会と共催で、3年前と同じ講演者に依頼してシンポジウムが開催された。会場は行田市教育文化センター「みらい」文化ホール(501席)。参加者は約300名とのことで、それなりにゆとりはあった。ちなみに新型コロナ前の2019年2月に埼玉県教育委員会が主催した埼玉古墳群史跡指定80周年・稲荷山古墳発掘調査50周年・鉄剣銘文発見40周年の記念講演会「さきたま あれから これから」にも参加したが、このときの会場は埼玉会館大ホール(1,315席)で、参加者は約1,200名でほぼ満員。埼玉会館浦和駅から徒歩6分なので、交通の便と、アクセス圏の人口の違いによるものか、それとも特別史跡指定から3年経ち熱が冷めたのか、新型コロナの影響か。

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栗岡眞理子さきたま史跡の博物館長の挨拶に続いて、宮原正樹学芸員が「最近の調査と整備の成果」として、2021年度に実施した愛宕山古墳の発掘調査の成果、奥の山古墳の周堀の整備事業、「特別史跡埼玉古墳群整備基本計画」で示した今後の整備計画について説明、最後に最近発見された稲荷山古墳の発掘当時の動画映像が紹介された。地元の方が撮影した映像ではないかとのこと。

3件の基調講演と総合討論。基調講演の講演者とテーマは、佐藤信東京大学名誉教授「古代史研究と埼玉古墳群」、関義則元埼玉県立さきたま史跡の博物館長「埼玉村古墳群から埼玉古墳群へ」、禰冝田佳男大阪府弥生文化博物館長(埼玉古墳群が特別史跡に指定されたときの文化庁文化財調査官)「国指定史跡から特別史跡へ 持続可能な特別史跡埼玉古墳群について考える」。総合討論「特別史跡埼玉古墳群のこれから」のパネリストは講演者3名と中島洋一行田市文化財保護課長で、栗岡眞理子さきたま史跡の博物館長が司会。

関元館長が2018年1月に発行した「史跡埼玉古墳群総括報告書I」の話として、当時の禰冝田文化庁文化財調査官から総括を50頁書いてくださいと言われ、総括報告書刊行委員会長の大塚初重明治大学名誉教授に相談したら「わかりました」と即答されたので安堵したが「何頁書いていただけますか」と尋ねたところ「4頁かな」との返答。残りを自身で書くことになった。最終的に大塚氏が担当したのは2頁で48頁を関元館長が書いたとのこと。この話を受け、禰冝田氏は、結果として良い報告書が発行されたのでよかったと返していた。佐藤名誉教授の講演は20分の枠に収まらず、レジメの半分くらいで時間切れ、武蔵国造についても詳しく聞きたかった。禰冝田大阪府弥生文化博物館長の持続可能な特別史跡についての講演は全国の事例を踏まえ示唆に富んだ内容だった。総合討論では、埼玉古墳群の未来について、行政と市民の関係、市民が参加だけでなく参画する史跡保存の姿が提案された。また、冒頭の栗岡館長挨拶で、二子山古墳の盗掘に触れ、行政のみでは限界があり、市民の協力が必要との話もあった。ちなみに後で知ったが佐藤名誉教授は横浜市歴史博物館館長、くまもと文学・歴史館館長なので、総合討論の参加者は、中島課長を除いて、全員が館長・元館長。なお、中島課長は、昨年11月の史跡探訪で地蔵塚古墳の石室の鍵を開けてくれた人。

行田市教育文化センター「みらい」
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山頂の神
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3/11 シンポジウム「特別史跡埼玉古墳群のこれから」を開催 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館

令和3年度愛宕山古墳発掘調査現地見学会の資料について 2022/03/03 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館

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