荒川区の煉瓦巡りの際に、古墳との関連が指摘される場所を訪ねた。旭電化通りの南約140mの区画整理されていない歴史的な路地裏に石神を祀る下尾久石尊(しもおぐせきそん)はある。祀られている石は掘っても掘っても掘り返すことが出来ないといわれる。また、南千住の素盞雄神社の瑞光石に繋がっているとも伝わる。これらの石は、古墳の石材の一部である可能性があるという。
下尾久字石神の地名と、1872年(明治5年)に王子町船方に煉瓦工場を創業した石神仲衛門との関係が気になる。無関係ではあるまい。
旭電化跡地の尾久の原公園の入り口に立てられた「十三坊塚」の説明板。上尾久村と下尾久村の境に十三坊塚と呼ばれる塚があり、塚は大正初期まで8基ほど残っていたという。塚の幾つかは円墳を主体とした群集墳の可能性があるという。
尾久の原公園の北に祀られている馬頭観音
舎人ライナーの足立小台駅のあたりから見た隅田川越しの尾久の原公園。写真の右のビル(ADEKA)のあたりに山本煉瓦工場があった。山本煉瓦の刻印のある煉瓦が西尾久の佐藤病院の煉瓦塀に使われている。ADEKAの旧称は旭電化工業。2006年に社名を変更。
下記のブログ記事で荒木田土について書いた。まだ、検証できていないが、煉瓦工場による荒木田土の土取りで自然堤防上の古墳群(十三坊塚)が消滅したのかもしれない。
南千住の素盞雄神社
文献[1]によると下尾久石尊は町屋微高地に位置する。隅田川沿いの微高地には、尾久微高地に経塚、高木塚が、尾久の原公園のあたりに砂利塚があった。砂利塚は新編武蔵風土記稿に「永禄年中(1558-1570) 太刀具足様のものを掘出せしことありと云」と記されていて古墳の可能性が高い。
そういう観点からすると、荒川区町屋の一本松や夫婦塚、尾久の石尊、十三塚、北区の十二天塚や梶原塚、医王塚、台坐塚、足立区の足立姫墓等の隅田川沿岸の自然堤防上に分布する「塚」の幾つかは同様の古墳だった可能性もあるかも知れない。特に怪しげな石材が祀られている尾久の石尊はかなり怪しい。
— Toyofusa (@cult666) 2010年2月7日
文献