染井霊園の隣の天理教東京教務支庁の鍰煉瓦の塀。文献[1]によると1999年4月の研修棟改修の発掘調査で大量の鍰煉瓦(からみれんが)のを使った塀が確認された。
敷地の内側から隣の泰宗寺との境の鍰煉瓦の塀
十二地蔵。享保15年の大火による犠牲者の冥福を祈るため建てられたと伝わる。脇の道の奥に鍰煉瓦の塀が見える。
塀の上端の鍰煉瓦の断面は五角形。
天理教東京教務支庁の隣の泰宗寺の敷地から見ると手前は煉瓦塀。
染井霊園で井戸ポンプを見つけたので写真を撮ったら、背後に煉瓦塀に囲まれた墓があった。
東京府癲狂院の煉瓦塀が一部破壊されていたことをうけ、駒込界隈を歩いてみたら染井霊園の旧平戸藩主・松浦伯爵家の墓所を囲む煉瓦塀が消失していることを確認しました。近年駒込界隈で古い煉瓦塀が破壊される動きがありますな。 pic.twitter.com/vlXiMyavDI
— 恭次郎 (@teitowoaruku) 2022年3月19日
【以前の姿】https://t.co/ow5R9UScg4
— 恭次郎 (@teitowoaruku) 2022年3月19日
文献
[1] 豊島をさぐる 《その7》鍰(からみ)煉瓦について 豊島区立郷土資料館便り かたりべ61 2001年3月
鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参照してね。