西ヶ原みんなの公園の西側の下瀬坂。
下瀬坂はかつてこの地にあった海軍下瀬火薬製造所に由来する。下瀬火薬は、海軍技師下瀬雅允(しもせまさちか)が実用化した石炭酸を硝化して作るピクリン酸を主成分とする爆薬。1893年に日本海軍に採用され、日露戦争(1904年-1905年)における大戦果の一因とされている。下瀬は、容易に金属と化学結合して変化してしまうピクリン酸の欠点を、弾体内壁に漆を塗り、さらに内壁とピクリン酸の間にワックスを注入することで解決した。
海軍下瀬火薬製造所の跡地は、東京外語大学の西ヶ原キャンパスとなったが、2000年に大学は府中市に移転、現在は、西ヶ原みんなの公園と特別養護老人ホームになっている。
特別養護老人ホーム「飛鳥春山苑」
西ヶ原みんなの公園の北に「海軍用地」と記された標石が残る。
標石の隣に乱雑に積み上げられた擁壁。一部に鍰煉瓦(からみれんが)が使われている。
昼寝中の猫
都電の踏切
瓦落下注意の廃屋
鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参照してね。