王子の地名の由来になった王子神社。旧称は王子権現。東京十社巡りの1社。1322年(元享2年)、領主の豊島氏が紀州の熊野権現を勧請して若一王子宮と奉斎、王子の名称が起る。
社殿の右脇から音無親水公園に降りる参道に鍰煉瓦(からみれんが)が埋め込まれている。
石神井川(音無川)の旧流路に架かる音無橋(1930年竣工)。石神井川は現在、飛鳥山の下の暗渠を流れ、旧流路は音無親水公園(1988年開園)として整備されている。
「王子・滝野川界隈をめぐって - 江戸東京博物館友の会」『えど友』第82号(2014年)
音無親水公園の「桜ライトアップ」
鍰煉瓦についてはこちらのブログ記事を参照してね。
【#学芸員のつぶやき】
— 北区飛鳥山博物館(公式) (@ASUKAYAMA_muse) 2021年1月26日
皇妃エリザベートが見た王子田楽の謎!ウィーン美術史美術館には1869年明治天皇が #皇妃エリザベート に贈った画帳が所蔵!その一枚に松本楓湖(ふうこ)筆、王子田楽図があります。なぜ #王子田楽 の絵がプレゼントされたのか?どんな寓意が込められているのか、大きなナゾです。
1869年、日墺洪(日本・オーストリア=ハンガリー)修好条約が締結。ウィーンから使節が来日、皇帝から天皇に献上の品が届けられました。その返礼の一つに選ばれたのが王子田楽図です。当時、王子神社は皇室に所縁深い准勅祭社。でも外交上、なぜ田楽の絵が贈られたのか、ナゾは続きます。
— 北区飛鳥山博物館(公式) (@ASUKAYAMA_muse) 2021年1月26日
#松本楓湖 が王子田楽を描いたのは「己巳初冬」、つまり1869年末のことです。この絵に神仏分離直後の田楽の芸態が描かれているとすれば?貴重ですね。コロナが収束したらぜひ、ウィーンに飛び、来年春の企画展で、激動の時代の文化を地域史の中から探りたいものです。謎はまだまだ続きます。
— 北区飛鳥山博物館(公式) (@ASUKAYAMA_muse) 2021年1月26日
【#常展だより】
— 北区飛鳥山博物館(公式) (@ASUKAYAMA_muse) 2021年2月28日
「春日局の「オモイ槍」」
常設展示室の将軍御座所・金輪寺展示コーナーに、いかにも重そうな槍が一本あります!見れば穂先は銀製で、とても武具として使われたものではなさそうです。→ pic.twitter.com/wlDBOH6Thj
伝承では江戸時代のはじめ、 #春日局 が、一時は危ぶまれた #徳川家光 の三代将軍襲職とその大成を #王子権現社 に祈願したところ、験あってか願いが成就したお礼に槍を奉納したのがこの槍といわれています。
— 北区飛鳥山博物館(公式) (@ASUKAYAMA_muse) 2021年2月28日
春日局は京都の名工・石道助利に槍百本を作らせましたが、残念ながら戦災などで現代に伝わっているのはこの一本だけ。さて、家光の故事によって地域ではこの槍は、「子育て大願」のシンボルとなりました。この銀製の槍は、まさに家三の乳母・春日局の「思いやり」の証として、今も輝きを放っています。 pic.twitter.com/KDZl1woSxr
— 北区飛鳥山博物館(公式) (@ASUKAYAMA_muse) 2021年2月28日
【#学芸員のつぶやき】#王子神社 には樹齢600年の #銀杏 の巨木があります。600年前と言ったら何と #室町時代!今年9月に創建700年を迎える王子神社の長い歴史の多くを、大銀杏はずっと見守ってきました。
— 北区飛鳥山博物館(公式) (@ASUKAYAMA_muse) 2022年5月22日
過去から未来へと、これからも銀杏はどのような時代の移ろいを伝えていくことでしょうか? pic.twitter.com/obWyE3BDRT
【#文化財だより】
— 北区飛鳥山博物館(公式) (@ASUKAYAMA_muse) 2022年9月5日
昨日、王子神社創建700年祭にあわせて、区指定無形民俗文化財「王子田楽」の奉納が行われました。
木漏れ日の中、8人の躍り手が花笠の紙垂を揺らしながら、鼓やササラを手に舞い躍りました。#北区指定文化財 #王子田楽 pic.twitter.com/jzhbQKg8Y8
一昨日は、王子田楽の奉納に先立って、「七度半の使い」の儀礼も行われました。
— 北区飛鳥山博物館(公式) (@ASUKAYAMA_muse) 2022年9月5日
写真の白装束の使者が、このあと槍を持った子どもたちに7回追い返されます…😓 pic.twitter.com/8O6lEkcgf3