週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

梶内向山遺跡 つくば市梶内

昨年、企画展「発掘!!圏央道つくば市内遺跡出土品展-」で紹介された古墳時代後期の豪族居館が眠る梶内向山遺跡(かじうちむかいやまいせき)を訪れた。場所は常磐自動車道圏央道が交差するつくばJCT(ジャンクション)。

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梶内向山遺跡 この道路下には古墳時代後期の豪族居館が眠っています。

梶内向山遺跡(かじうちむかいやまいせき)は、圏央道建設に先立ち、平成12年から14年にかけて財団法人茨城県教育財団によって発掘調査が実施されました。その結果、当遺跡は、古墳時代中期から近世(約1,500〜300年前頃)にかけての集落やお墓の跡であることがわかりました。

発見された遺構のなかでも、古墳時代後期(約1,400年前頃)の二重の堀で囲まれた住居跡群は、この地域の有力者(首長)の屋敷跡と考えられます。こうした遺構は、一般的に「豪族居館跡」と呼ばれ、全国的にも発見例が少なく、県内では5例目(古墳時代後期のものとしては初めて)のものです。当遺跡のように二重の堀によって区画された例は、東日本では2例目です。

当遺跡の居館跡は、上幅7〜10m、深さ約1mの箱堀状の二重の堀によって区画されています。外堀(第1・3号堀)を含めた全体の規模は、東西約110m、南北約65mの長方形で、面積は約5,980m²。内堀(第2号堀)は、約65m四方の正方形で、面積は約2,350mほどです。 内堀には2か所の土橋とスロープ状の施設が存在し、出入り口の機能を果たしたと想定されます。また、外堀(第3号堀)には性格は不明ですが「張り出し部」と呼ばれる施設も確認されています。内堀で区画された内部には、居館に伴うと考えられる竪穴住居跡(地面を掘り込んで床を作った半地下式の住居)が19軒確認されており、重複関係などから少なくとも3期にわたる居住が考えられます。出土品には、土橋やスロープ状の施設や張り出し部の周辺を中心に出土した坏・高坏・鉢・甕・甑などの大量の土師器類や祭りに使用されたと思われる手捏土器や石製模造品、また、遠方で生産された坏・蓋・高坏などの須恵器類があります。

周辺には、同時期の集落跡が確認されておらず、一般の集落とは隔絶されていたものと考えられます。

また、居館跡は、小野川上流左岸の低台地上に所在し、牛久沼に流入する東谷田川まで 東に3.5km、小野川支流の乙戸川まで西に約2kmと他の水系への移動が容易な交通の要衝に位置しています。地域支配のため他地域との交流を管理する必要があったためと考えられます。

なお、この「豪族居館跡」は、砂で埋め戻され、調査時のまま保存されています。

茨城県教育委員会つくば市教育委員会

資料提供:財団法人茨城県教育財団、平成15年4月

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圏央道(首都圏中央連絡自動車道)
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文献

[1]  財団法人茨城県教育財団 2003 『茨城県教育財団文化財調査報告199:梶内向山遺跡』財団法人茨城県教育財団

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