週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

冬木A・B貝塚 五霞町原宿台

6月に幸手市郷土資料館で企画展を見学した後で、幸手市から中川を渡って、茨城県五霞町権現堂川東岸の微高地台地上の辰堂(たつどう)公園に立てられた冬木A・B貝塚の説明板と復元された縄文時代の竪穴住居を見学した。権現堂川は江戸時代以前は渡良瀬川の河道で、そこから南流し東京湾へ注いだ。貝塚がつくられた頃は古東京湾の入江だったのだろう。ちなみに、埼玉県最北の貝塚の槙野原遺跡からは北西に6.5kmの距離。文献[2]によれば、冬木A貝塚は辰堂公園から北北西に約450mのあたりで、縄文時代後期の集落跡(6か所の貝塚、18体の埋葬人骨)が確認され、冬木B貝塚は辰堂公園から東に約550mのあたりで、縄文時代後期・晩期の集落跡(4か所の貝塚など)が確認された。両遺跡は、冬木地区土地区間整理事業に先立ち、1979年に茨城県教育財団によって発掘調査がおこなわれた。

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辰堂公園(冬木A貝塚) | 五霞町公式ホームページ

五霞町の観光名所・おすすめ観光スポット案内:茨城VRツアー

文献

[1] 1981 『茨城県教育財団文化財調査報告9:冬木地区土地区画整理事業地内埋蔵文化財調査報告書茨城県教育財団

[2] 茨城県考古学協会 2010「茨城の考古学散歩 - 週末は古墳巡り」東冷書房

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