週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

土屋塚古墳 (再訪) 狛江市岩戸南

橋北塚古墳の次に土屋塚古墳を訪れた。

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狛江市指定文化財(市史跡) 土屋塚古墳

指定年月日 昭和61年1月4日

土屋塚古墳は、狛江古墳群のうち岩戸の地に残された数少ない古墳のひとつとして、また墳丘の遺存状態が良好な古墳として、昭和61年に市史跡に指定されました。

平成16年には、墳丘の南側から東側にかけて発掘調査が行われ、古墳築造の時期や当初の形態・規模が明らかになりました。直径33メートル、高さ4.5メートルを測る円墳で東側に造出部を有し、その外側に幅1.5mほどのテラスと幅10メートルほどの間溝が取り巻くことが判明しました。

周溝からは、もともと墳頂や墳端に並べられていた埴輪が、周溝内に転落した状態で出土しました。これら埴輪は、製作技法から上野(現在の群馬県)に拠点をおく工人集団が、この付近で採取される粘土で製作したものと考えられます。また、河内地方を起源とする装飾が施された朝顔型円筒埴輪や鳥付円筒埴輪なども出土しています。造出部付近からは、土師器の大型壺、高坏などが出土しており、造出部で墓前祭祀が行われたものと考えられます。

土屋塚古墳は、出土遺物から5世紀第3四半期頃に築造された古墳と考えられます。多摩川流域では、5世紀に入ると、そ れまで古墳が築造されなかった野毛 (世田谷区)の地に、野毛大塚古墳に代表される大型の帆立貝形古墳が築造されはじめます。これは畿内における王権の変遷と関連するものと考えられますが、狛江の地でも、野毛地区の動向と連動して、5世紀半ばから古墳の造営がはじまります。土屋塚古墳は、そのなかでも比較的早い時期に築造された古墳で、帆立貝形を模した造出部を有するなど、多摩川流域の古墳文化の動向や、当時の地域間関係を知るうえで、大変貴重な古墳です。

平成27年3月 狛江市教育委員会

(右)土屋塚古墳出土の円筒埴輪。 

内面調整が省略された内面押圧技法により製作されている。
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土屋塚古墳を訪れたのは6年振り2回目。

文献

[1] 狛江市教育委員会 2006 『狛江市文化財調査報告書 22:土屋塚古墳発掘調査報告書』狛江市教育委員会

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