週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

千年伊勢山台遺跡 現地見学会(10/28) 川崎市高津区千年

市川市から川崎市に移動して、午後から千年伊勢山台(ちとせいせやまだい)遺跡[橘樹郡家(たちばなぐうけ)跡]第39次調査の現地見学会に参加した。今回の調査地は、今年3月の蟹ヶ谷古墳群の現地見学会の前に、史跡公園の整備中の橘樹官衙遺跡群の橘樹郡家[郡衙]跡(千年伊勢山台遺跡)を訪れたときに、ブログに「北側の空き地でも」と写真を載せた保存活用事業用地。1996年(平成8年)の宅地造成に伴う道路計画範囲を対象とした発掘調査(千年伊勢山台北遺跡)で発見された東西方向に整然と柱筋を揃えた(2時期)7棟の総柱式掘立柱建物跡の発見をきっかけとして、郡衙関連遺構の確認を目的とした1998年から2003年の6年間の確認調査(千年伊勢山台遺跡第1次〜第8次調査)の第2次調査で発見された北列建物群の東端の5棟目と、第5次調査の3区で発見された南列建物群の東端の5棟目(ただし、第1次調査で発見された南列の遺構は第7次調査で建物跡と認定するのが困難となり、現在は南列東端の3棟目)が保存された事業用地が今回の調査対象で、現在工事中の歴史公園の整備完成後の史跡整備の基礎資料を得ることが今回の調査目的。今回の調査では、北列建物群の東端の5棟目の東側の掘立柱塀の先に6棟目の倉庫跡を確認、北列の2棟(東端の5,6棟目)は柱が4x4の16本に対して、南列の1棟(東端の3棟目)は柱が5x4の20本であることを確認。北列と南列は、性格が異なる?南側からの見栄えを意識した?なお、今回確認した3棟は奈良時代の倉庫跡。

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2区(北側)
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1区(南側)
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弥生時代の住居跡
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柱穴に柱(径30cm)の跡が残る。上にのった柱は、復元整備中の飛鳥時代の倉庫で調達した柱の残りを見学会に活用したもの。
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この道路の調査で(2時期)7棟の総柱式掘立柱建物跡が確認された
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復元整備中の飛鳥時代の倉庫と向かい側の保存活用事業用地(奈良時代の倉庫跡1棟)
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11月18日に復元倉庫の茅葺き作業見学会を開催

 

缶バッジもらった(左は武蔵国分寺跡から出土の瓦の刻印)
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千年伊勢山台古墳の辺り
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文献

[1] 川崎市教育委員会 2016「国指定史跡 橘樹官衙遺跡群 橘樹郡衙跡・影向寺遺跡」川崎市遺跡リーフレット

[2] 川崎市教育委員会 2020 『国史跡指定5周年記念シンポジウム「橘樹郡誕生!」〜橘樹郡家・古代影向寺どうしてここに〜』発表要旨

[3] 川崎市教育委員会 2023「古代橘樹を知り、活用する‼︎ II」川崎市遺跡リーフレット

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