ゴールデンウィークに、深谷市の日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設を訪れた。ホフマン輪窯6号窯は保存修理工事中で見学できない。煉瓦史料館でボランティアの方にたっぷり説明していただいた。
旧事務所(煉瓦史料館)
【 #旧煉瓦製造施設 春季臨時公開】(文化振興課)◆ #渋沢栄一 も設立に関わった #旧煉瓦製造施設 の春季臨時公開を実施します。◆4月29日(土・祝)~5月7日(日)※ホフマン輪窯6号窯は工事中のため公開休止中◆https://t.co/kvoAN0aWZQ#fukaya pic.twitter.com/yvlHxqtBW2
— 深谷市 (@Fukaya_City) 2023年4月20日
日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 旧事務所
重要文化財(建造物) 平成9年5月29日指定
建物は明治21年頃の建設で、煉瓦製造施設の建造と煉瓦製造技術の指導に当たったナスチェンテス・チーゼ技師が住居兼工場建設事務所として使用したと伝えられている。地元の人々からは「教師館」「異人館」の名で呼ばれていた。
日本煉瓦製造株式会社は、明治政府が計画した洋風建築による官庁街建設を推進するため、煉瓦を大量供給する民営工場として、渋沢栄一らが中心となって設立された。工場建設地は、当時政府に招かれていた建築技師ウィルヘルム・ベックマ ン、チーゼらのドイツ人技術者の指導により選定され、良質の原土を産出し、水運による東京への製品輸送が可能な現深谷市上敷免(じょうしきめん) 新井に決定された。チーゼは娘クララと共に明治22年12月に帰国するまでここで生活し、彼の帰国後は会社事務所として使用された。
創立70周年記念碑
昭和32年10月25日 創立70周年記念日に当たり我社70年に渉る歴史と傳統とを回顧し又我社の今日を築いた先覚者の精神と業蹟とを想起すると共に今後益々社業の発展を期するものである。依って茲に記念の為この記念碑を建立する
昭和33年4月2日 日本製造株式會社 専務取締役 諸井貫一
創業100周年記念碑
我社は昭和62年10月25日創業百周年を迎えた 創業以来幾多の変遷と苦難を越えて一世紀に亘る歴史を築き上げた 二世紀への節目に当り先人の偉業を偲び新たな歴史に挑戦する決意をもって ここに記念碑を建立する
昭和63年10月25日 日本煉瓦製造株式会社 取締役社長 松尾芳樹
ベルギー製のレール
刻印のある煉瓦
煉瓦塀
小口積み
長手積み
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パンフレット