荒川橋梁から国道140号線(彩甲斐街道)に出て、金崎古墳群を散策した。金崎古墳群は、宝登山(ほどさん)の山裾が、南東方向にのびた河岸段丘に所在する。かつては10基以上の円墳があったといわれているが、現在は埼玉県指定史跡に指定されている大堺1〜3号墳と、天神塚(氷雨塚)古墳の4基のみ。
金崎古墳群の大堺3号墳。文献[1]では「墳丘の北及西側削平」「石室は袖無型、南に開口、全長5.40m、幅2.50m、側壁は変成岩(板石)と緑泥片岩・紅簾片岩・絹雲母片岩を小口積」文献[3]では「県指定史跡、円墳、径18m、横穴式石室、土師器・須恵器が出土」
埼玉県指定史跡 金崎古墳群
昭和51年3月30日 指定
金崎古墳群は、荒川左岸の河岸段丘上にある群集墳で、かつては8基以上の円墳があったといわれている。しかし、現在、墳丘や主体部が保存されているのは、字大堺にある大堺1号墳・2号墳・ 3号墳と字岩下にある天神塚古墳の4基である。
これらの古墳は、いずれも墳丘の形がくずれており、大堺1号墳を除いて石室が開口している。 開口している3基は、いずれも横穴式石室で、秩父地方に特徴的な長瀞系変成岩の板岩や割石を使用し、たくみな技術で積み上げられており、古代における技術水準の高さをうかがうことができる。 石室の平面形は、大堺2号墳・3号墳は胴張形、天神塚古墳は短冊形である。
天神塚古墳からは、円筒埴輪の破片、大堺3号墳からは、土師器や須恵器が発見されている。これらの遺物と石室の形態から、 天神塚古墳が6世紀後半、大堺3号墳が7世紀初頭の築造と考えられる。
平成19年度 金崎古墳大堺3号墳緊急保存対策工事実施
平成20年3月31日
金崎古墳群は荒川左岸段丘上に位置する古墳時代後期の群集墳で、大字金崎字大堺に3基(大堺)1〜3号)、宇岩下に1基の古墳(天神塚古墳)が現存しており、昭和51年に県指定史跡に指定されています。
現存する古墳は、高さ3m〜5.2mほどの円墳で、このうち大堺1号墳は比較的良好な形を留めています。
古墳群の体部は横穴式石室で、開口している大堺3号墳は、石室全長8mを超える胴張の両袖型石室です。 石室は、この地域に産出する緑泥片岩や紅簾片岩等の結晶片岩の板石を利用し、ドーム状に持ち送りながら巧みに小口積みしたもので、高度な石積技術を垣間見ることができます。 奥壁・天井石と玄門の門柱は 大型の片岩を立石にしてあり、側壁の片岩の隙間には、玉右が詰められています。
岩下の天神塚古墳は、この地方で開口している古墳に通有な「氷雨塚」の名称 と伝説が残されています。
南西から左手前が大堺3号墳、右奥が大堺1号墳
大堺3号墳の石室の石材に使用されている長瀞系変成岩(緑泥片岩や紅簾片岩)
文献
[1] 埼玉県 1982「新編埼玉県史 資料編 2 原始・古代 弥生・古墳」
[2] 柿沼幹夫 1983「秩父郡皆野町金崎古墳群大堺3号墳の石室について」『埼玉県立博物館紀要』第8・9 号 埼玉県立博物館
[3] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」
[4] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」
[5] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会
大堺3号墳【埼玉県皆野町】
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2022年4月10日
金崎古墳群に属する径18mの円墳。南側に開口する横穴式石室は板石や割石を細かく積み上げた側壁と、3つの巨石を積んだ奥壁からなる非常に美しいものです。色調の異なる石材を組み合わせてるところに美的感覚を感じるな...。7世紀初頭の築造。 pic.twitter.com/qP9Olh32LT
大堺3号墳。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年1月8日
胴張形石室を持つ円墳。
多様な石材を使用した秩父に相応しい古墳ですね。
7世紀型石室になる。
この古墳は天井石は崩壊して復元されている。
なので副葬品や墳丘も多くの事がわかっている。
群馬産の須恵器など毛野の影響が強い。
埼玉県立歴史と民俗の博物館にも復元展示があるよ。 pic.twitter.com/6syPn2v0uA