週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

冬木A貝塚公園 五霞町原宿台

埼玉県杉戸市と茨城県五霞町で古墳巡りの続き。

昨年、茨城県五霞町の辰堂公園で冬木A・B貝塚の説明板と復元された縄文時代の竪穴住居を見学した。冬木A貝塚は辰堂公園から北北西に約450mのあたりで、縄文時代後期の集落跡(6か所の貝塚、18体の埋葬人骨)が確認されている。冬木A貝塚付近に整備された冬木A貝塚公園を訪れた。

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縄文時代の竪穴住居

昭和54年日本住宅公団が本団地工事に着工した時点において、古代住居跡、貝塚を発見し、発掘調査が行われた。(冬木A貝塚、冬木B貝塚とであり、現在の貝塚)その結果、竪穴住居跡などが発見された。古代人の生活の一端をしのぶ手がかりとして、その一つを模造したものである。

竪穴住居は、ふつう地面を五〜六十センチメートル位掘り下げ、まわりに数本の柱をたてて屋根を組み上げた簡単なものである。平面の形は、円形、長円形、隅丸長方形などさまざまであるが、一つの竪穴は、数人位が生活できる広さになっていた。中央には、炉があり団らんの中心となっていた。縄文時代はもとより、弥生から奈良時代にまで及ぶ一般の人々の住居の基本形式となったという。

平成28年3月 五霞町教育委員会

文献

[1] 1981 『茨城県教育財団文化財調査報告9:冬木地区土地区画整理事業地内埋蔵文化財調査報告書茨城県教育財団

[2] 茨城県考古学協会 2010「茨城の考古学散歩 - 週末は古墳巡り」東冷書房

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