金崎古墳群の天神塚古墳(大堺4号墳、氷雨塚)。文献[1]では「大正年間に発掘、直刀」「石室は袖無型、南に開口、全長6.00m、幅1.20m、側壁は変成岩(板石)を互目積」文献[2]では「県指定史跡、大境4号墳、氷雨塚、円墳、径13m、横穴式石室、直刀・埴輪が出土」
金崎神社(かなさきじんじゃ) 御由緒 皆野町金崎109
◇国造(くにのみやつこ) 知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)・知知夫姫命(ちちぶひめのみこと)を祀る神社
当社は、現在十二天山の南東、字岩下の旧八坂社境内地に鎮座しているが、以前はここからやや西に寄った社中山(しゃちゅうやま)の中腹に鎮座していた。社中山は宝登山の裏手に当たり、そこからは国神方面が一望できる。
社記によれば、当社は本郡の旧跡である国造知知夫彦命・知知夫姫命の古塚近くの山にあり、古墳の祭神二柱を祀っているところからこの嫁とは縁があるという。また、『新編武蔵風土記稿』には、「野栗社 諏訪社 貴船社 以上三社合殿、村の中程、村の総鎮守、無年貢地、例祭七月二十七日、神主宮前主計」とあり、当社は初め、野栗三社権現と称し、三社合殿で祀られていたが、大正期には既に氏子の間では、野栗社と貴船社の事は忘れられ「お諏訪様」とのみ呼ばれていた。
明治四十年(1907)に宇馬場の八幡社、字岩下の八坂社・天満天神社、 字瀬戸山の十二社大神社・稲荷社、字腰の大山祇社を合祀し、同四十三年(1920)に村社となった。
社名はこの時、村名をとって金崎神社とした。更に、昭和五十三年 (1978)には現社地に遷座して、今日に至っている。
文献
[1] 埼玉県 1982「新編埼玉県史 資料編 2 原始・古代 弥生・古墳」
[2] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」
[3] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」
[4] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会
天神塚古墳【埼玉県皆野町】
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2022年4月10日
金崎古墳群に属する6世紀後半築造の円墳。秩父国造知知夫彦命と知知夫姫命の墓とする伝承もあり、すぐ隣には二柱を祀った金崎神社が鎮座しています。奥壁には結晶片岩が用いられており、差し込む日光を受けて白く輝いて見えます。 pic.twitter.com/g840Goy9hY
皆野町・大堺4号墳(天神塚古墳)。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年1月8日
横穴式石室の中に入ることができる。
6世紀後半の無袖石室。
秩父では古いタイプになる。
円筒埴輪と人物埴輪が出土している。
秩父では古い古墳で知知夫国造の墓との話もうなずける部分もある。
近くの金崎神社の祭神が知知夫彦・知知夫姫命も示唆的。 pic.twitter.com/WxhBZtIu3w
古墳や横穴式石室の造り方は群馬県藤岡地域の影響が強いように思う。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年1月8日
今回、訪問できなかったが稲穂山古墳は特筆すべき古墳。
竪穴系横穴式石室と見られる。
5世紀後半だと関東最古になるかも知れない。
色々な事が考えられる。
岩盤掘削?
これはウカツな事は言えない。
学術調査をしてほしいですね。 pic.twitter.com/j0Gw9Emh1a