この日のシメは企画展「地方から見た継体朝とその前後~6世紀前半期の群馬の古墳時代~」を開催中の高崎市観音塚考古資料館。全国的に畿内系の横穴式石室が普及するなど考古学的にも大きな変革が認められる6世紀前半の継体朝とその前後の期間にスポットを当てる企画展。近年、継体天皇の動向と深く関連する考古資料と指摘される捩り環頭大刀・広帯二山式冠・三葉文楕円形杏葉を取り上げる。これらは継体天皇の関連地に集中して分布するが、関連地からはずれている群馬でも、捩り環頭大刀が8例、広帯二山式冠が2例、三葉文楕円形杏葉は高崎市天宮古墳の1例が確認されている。また、石見型埴輪を取り上げる。東国では東海と群馬でしか確認されていない。群馬が東国を代表する先進地域であったことがよくわかる。
「地方から見た継体朝とその前後~6世紀前半期の群馬の古墳時代~」高崎市観音塚考古資料館。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2022年9月21日
群馬では榛名山噴火で保渡田王権が壊滅し、畿内では継体朝が成立する。
上毛野はこの未曾有の事態にどう対処したのか?
6世紀前半の複雑な動向を考古学的視点から探る。 pic.twitter.com/SCssAOojQb