週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

牛塚山古墳群 (1, 2, 9, 10号墳) 坂戸市小沼

越辺(おっぺ)川を望む坂戸台地の東端、10基以上の円墳で構成される牛塚山古墳群。文献[4]によると法音寺境内に4基(1,2,9,10号墳)、氷川神社周辺に4基(5〜8号墳)、その中間に3号墳が分布する。牛塚山1号墳は、1994年に送電線鉄塔建設のため発掘調査後に削平された。径20mの円墳、木棺直葬、大刀が出土。牛塚山1号墳を最北として9号墳、2号墳、10号墳の順に一列に並ぶ。坂戸市遺跡地図では3号墳が「消滅」、4・9・11・12号墳が「削平」と記される。3号墳は文献[1]で報告されている。文献[3]によると牛塚山1号墳は径20mの円墳、2号墳直径21mの円墳で、どちらも前方後円墳の可能性あり、3号墳は直径14.8mの円墳の「古墳跡(周堀)」で消滅、9号墳は円墳、10号墳は径15mの円墳。

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法音寺の概要

法音寺は恵日山、不動院、光明殿、法音寺と号す。境内地北西に前方後円牛塚古墳を有し、墓地より鎌倉時代の板碑が出土される。徳川秀忠は元和元年(一六一五)武家、朝廷、公家、門跡寺院に対して、公的な行動規制をし寺院に本寺と末寺を組織させ全国寺院の支配権を掌握する。法音寺は新義真言宗勝呂村大智寺末となる。大智寺は入間郡地域六十四ヶ寺を支配する本寺である。
法音寺の本尊は不動明王尊、開山は文亀二年(一五〇二)第六世俊□師天正二年本堂焼失、仮本堂建立、第十一世俊□師元禄四年 現山門建立上に梵鐘を掛る。同五年現観音堂建立第十八世隆慧師享和元年現本堂建立。
明治二十七年智積院醍醐寺へ冥加金を出し千四百一ヶ寺を末寺とする。これによって大智寺を中心とする寺院智積院の末寺となる。第二十五世正晴師昭和五十三年庫裡、平成五年客殿新築、歴代各住職諸堂修復、法燈護持に専念される。
平成九年三月吉日 第二十五世正晴合掌

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平家蟹さんのブログ「古墳のお部屋ブログ館 坂戸市」で1995年に撮影された牛塚古墳(牛塚山1号墳)の写真が紹介されている。

文献

[1] 坂戸市教育委員会 1988 『坂戸市遺跡群発掘調査報告書1:坂戸市遺跡群1坂戸市教育委員会

[2] 坂戸市教育委員会 1992「坂戸市史 古代史料編」

[3] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」

[4] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会

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