大正2年、飛鳥山下と三の輪の間を結ぶ王子電車(現在の都電)が開通し、翌年、碩運寺(せきうんじ)にラジウムを含む鉱泉の温泉「寺の湯(後の不老閣)」が開業した。不老閣をきっかけに、尾久地域に続々と温泉旅館や料理店が開業し、東京郊外の温泉街として知られた。温泉街とともに、花街としても発展し、1922年(大正11年)に二業地、続いて三業地の指定を受けた。三業とは料理屋・待合茶屋・置屋(芸者屋)をまとめた呼称。
地蔵山の庚申塔
尾久三業地の名残をとどめる割烹熱海(大正6年創業)。手前に割烹喜楽(きらく)があった。
「上野動物園クロヒョウ脱走事件」「二・二六事件」とともに昭和11年の三大事件と称される阿部定事件は、尾久三業地の待合「満佐喜」で起きた事件。
緊急事態宣言の解除を受け、古墳巡りの再開を検討中。
大正6年(1917年)創業の西尾久にある割烹熱海が令和3年(2021年)2月28日(日)をもって閉店へ https://t.co/UxivYzsMJm#荒川区のはなし #荒川区 #地域ブログ
— 荒川区のはなし(東京都荒川区の地域情報サイト) (@arakawa_story) 2021年1月8日