「馬さん煉化工場跡」の碑が、あらかわ遊園から隅田川を挟んだ対岸にある。碑には「煉化発祥地」とある。
明治時代のはじめに下川馬次郎が宮城村に煉瓦工場(下川煉瓦)を創設。1877年(明治10年)の第一回内国勧業博覧会に煉瓦を出品して褒状(足立区郷土博物館蔵)を受けたことが碑の裏に刻まれている。褒状の審査評語には「質堅実方長ニシテ洋風ノ建築二必需ナリ、其価不廉ト雖モ、亦地方ノ一名産ナリ」と評されている。下川馬次郎の工場は、地元では、愛称で「馬さん煉化」、「馬さん工場」と呼ばれていた。創業については1871年(明治4年)と1872年(明治5年)と1875年(明治8年)の説がある。
裏のアパートの路地は煉瓦敷
レトロな煉瓦が再利用されている
刻印も見つかる
自動販売機の脇に煉瓦塀
アパートの奥に煉瓦造の祠が見える。
丸の中に「下」の刻印。下川煉瓦の刻印。
残念なことに自販機脇の煉瓦塀は2021年に湮滅。
近くの氷川神社。1914年(大正3年)に荒川放水路工事に伴い、現在の荒川河川敷内から移転してきた。
摂社の稲荷社は馬さん工場内に祀られていたが、氷川神社に移されたと伝わる。
脇の水神宮は高速道路の建設で氷川神社に移されたと伝わる。
富士塚もある。みやぎ水再生センターのあるあたりから移転してきた。
宮城の地名は中世の宮城氏に由来する。宮城氏は豊島氏の庶流。始祖は葛西清重の子朝清とも清重の4代後の豊島重信の子八郎重中とも伝わるが定かでない。
隅田川に架かる豊島橋から馬さん工場のあたり、現在は宮城ファミリー公園、みやぎ水再生センター、頭上に首都高。左が足立区、右が北区。
氷川神社の近くのお宅にもレトロな煉瓦敷がある
裏には煉瓦造の蔵も残る。1921年(大正10年)の建造。間口四間(約7.2m)、奥行き二間(約4.5m)。イギリス積み。
南宮城公園と煉瓦通り
足立区と北区は隅田川で隔てられているが、かつて、渡し船で結ばれていた。北区から対岸のみやぎ水再生センター。
少し下流に小台橋が架かる。1933年(昭和8年)に架橋され、1992年(平成4年)に架け替えられた。
文献
[1] 阿出川信孝 1974「足立の煉瓦産業」『足立史談』74〜76号
[2] 大久保幸治 1981「鍰煉瓦の話」『足立史談』160号
[3] 竹内清和 1988「足立周辺の赤煉瓦工業の変遷」『足立史談』245号
[4] 足立区立郷土博物館 1992「炎のなかから生まれた近代 文明開化とあだちの煉瓦」
[5] 足立区立郷土博物館 2000「足立区風土記稿 地区編3 江北」足立区教育委員会
[6] 佐藤貴浩 2018「はい!文化財係です。煉瓦と足立」『足立史談』605号
[7] 佐藤貴浩 2019「はい!文化財係です。出土した煉瓦」『足立史談』618号
http://ces-net.jp/ara-vc/_src/sc2095/arakawa_kurashi_low.pdf
コケだのなんだの付いて、ざっくりとした長手積み Stretcher Bond のような煉瓦塀。煉瓦の刻印は、ヤマ “∧” の下に “下” か。
— (旧 Stray bk 停止) (@stray_brick_old) 2020年10月15日
南足立郡宮城村の下川煉瓦ではないかと書かれてあった。ヤマシタじゃないんだ。#煉瓦 pic.twitter.com/9ChTyesPDx