週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

遺跡発掘調査発表会2022 (3/21) 東京都立埋蔵文化財調査センター

3月21日に東京都立埋蔵文化財調査センターで開催された「遺跡発掘調査発表会2022」を聴講した。北区十条台遺跡群の十条冨士塚の発掘調査について発表があった。センターでは平成24年から十条地区沿道一体整備事業(都道補助83号線)に伴い、十条台遺跡の調査を行っていて、冨士塚古墳の調査は令和2年度から3年度に実施した。調査の結果、十条冨士塚の盛土は、①近代以降の十条冨士塚盛土、②近世の十条冨士塚盛土、③旧塚の盛土の大きく3段階あることがわかった。①の盛土層下からは黒褐色土を主体とする②近世の十条冨士塚を検出。②の盛土層中から出土した遺物等から③の旧塚が②の冨士塚に改修されたのは18世紀後葉から19世紀にかけてと推定。③の旧塚の盛土は、黒褐色土〜黒色土を主体とし、部分的にロームを多く含む層が間に加わった不連続な互層の堆積で、部分的に締固めを行った痕跡が確認されたが、古墳等に用いられる版築技法とは異なる。旧塚盛土層からは縄文時代から中世にかけての遺物が出土し、特に弥生時代の土器片が多い。塚の最下部で厚さ25cm前後の黒色土層を検出し、黒色土層の下は、削平されたソフトローム層で、旧塚を築造するときに切土整地した上で周辺から客土した盛土整地層と考えられる。この層の直上から3体分の馬の頭骨を検出。2体は骨が溶け歯のみ出土、歯の放射性炭素C14年代分析の結果は13世紀後半から14世紀末頃の数値を示す。また、盛土整地層の下からは弥生時代の竪穴住居7軒、古代から中世頃の溝跡1条を検出。住居内からは土器や土製勾玉等が出土。以上から、十条冨士塚の旧塚は古墳ではなく中世に築造された塚と考えられるとの報告だった。また、旧塚は、鎌倉街道の脇、第六天信仰、上十条と下十条の境界から境塚(さかいつか)の可能性が提示された。

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文献

[1] 公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター 2023 『東京都埋蔵文化財センター調査報告373:十条台遺跡群Ⅲ』公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター

冨士仙元大菩薩の幟に「第六天」の3文字(2022年7月1日撮影)
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古墳が第六天塚に転用された例

旧塚の盛土断面(2021年5月28日撮影)
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旧塚の盛土断面(2021年6月30日撮影)
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出土品の写真
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港区圓福寺跡遺跡の発表もあった。

富士塚古墳 | 発掘トピックス | 東京都埋蔵文化財センター

東京都埋蔵文化財センター

十条地区 | 東京都都市整備局

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