週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

赤羽台3号墳 北区中央公園

北区赤羽台4丁目の赤羽台古墳群は、武蔵野台地の東北端の舌状台地に位置し、北は荒川低地をはさんで大宮台地を、東は東京低地をはさんで下総台地を望む海抜20mほどの台地に、古墳時代後期の6世紀後半から7世紀前半に造られた群集墳。古くから古墳1基(1号墳、円墳、径約10m)の存在が知られていたが、1982年から1986年に東北新幹線工事にともなう発掘調査で、15基の円墳、横穴墓群、多数の縦穴住居跡が見つかった。15基の円墳のうち、3号墳、4号墳、5号墳、6号墳、7号墳の5基から横穴式石室が検出された。石材に自然石を使用して、長方形の平面プランで、東側に開口し、6世紀後半に築造された3, 4号墳と、切石を使用して、胴張形の平面プランで、南側に開口し、7世紀前半に築造された5, 6, 7号墳の2つのグループに分かれる。

このうち3号墳の横穴式石室が、北区中央公園の文化センターの東隣に移築保存されている。

3号墳、4号墳の石室には房州磯石が使われていた。房州磯石は磯根崎(千葉県富津市)の海岸で採れる凝灰質砂岩である。床面には全面に小石が、一部にカキ殻が敷かれていた。また4号墳墳丘には埼玉県鴻巣市の生出塚(おいねづか)埴輪窯で作られた「埴輪」がたて並べられていた。赤羽台古墳群の出土品は飛鳥山博物館に展示されている。

発掘調査された敷地のほとんどは星美学園の敷地で、新幹線と埼京線は、地下トンネルを走っている。星美学園の敷地内に赤羽台1号墳が現存している。星美学園の沿革によると1967年に新幹線問題が起こり、1982年に和解して、1985年に地下トンネルが完成している。

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赤羽台古墳群から出土した直刀(ちょくとう)、弓金具、刀子(とうす)、鉄鏃(てつぞく)、埴輪、金メッキの耳環(じかん)、メノウの勾玉(まがたま)などが、飛鳥山博物館に展示されている。

赤羽台第3号古墳石室|東京都北区

文献

[1] 東京新聞編集局 1993「古墳を歩く」