週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

漆山古墳 高崎市下佐野町

佐野古墳群の盟主、漆山古墳を訪れた。

漆山古墳(綜覧古墳番号佐野村27)、番号68[現状:○、墳形:前方後円、全長61.2m、埋葬施設:両袖型横穴式石室、市史跡]
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高崎市指定史跡 漆山古墳(うるしやまこふん)

漆山古墳は、佐野古墳群の中に位置する前方後円墳です。一帯には、かつて約八十基の古墳が存在していましたが、その中でも最大の盟主的な古墳です。墳丘は、前方部の大半が削ら れており、現在する墳丘の大きさは、東西38m、南北31m程です。築造時の全長は70m以上と推定されます。

埋葬施設は横穴式石室で、後円部南側に開口しています。石室は烏川対岸の丘陵に産する凝灰岩を加工して造られており、現存長は7.8m、このうち玄室の長さは約3.7m、幅約2.4mを測ります。内部からは、刀や鉄鏃の破片、金銅製の馬具、工具類などの副葬品が出土しました。

この地域には、六世紀後半ごろに大和王権の直轄地である「佐野屯倉」が設置されたと考えられており、漆山古墳に埋葬された人物は、佐野屯倉の管理者ではないかと推定されます。 対岸の山名町にある特別史跡山上碑・金井沢碑には「佐野三家」・「三家子□」の文字が刻まれることから、佐野屯倉の管理者の子孫が建てたとみられ、本古墳との強い関連が考えられます。

本古墳は、平成28年に所有者から市に寄贈されました。

所在地   高崎市下佐野町字蔵王塚86番1ほか

指定年月日 平成29年2月20日

設置年月日 平成29年3月24日

高崎市教育委員会

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文献

  1. 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」

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