平沢古墳群は、平沢官衙遺跡北方500mの小丘陵斜面に所在し、方墳2基と5〜6基の小型の円墳で構成されていたと考えられる。このうち4基は横穴式石室が確認されている。1号墳の佐都ケ岩屋古墳は市指定史跡で、東西35m、南北25mの方墳。筑波国際カントリークラブのクラブハウスに向かう道の脇、標高145mと眼下に旧筑波町の水田地帯を見渡せる地点に所在する。埋葬主体部は変成岩の巨大な板石を組んで構築された、全長7.7m、最大幅5.4mのT字型平面の横穴式石室で、南に開口して、前室、後室の複室構造で、後室の天井石の一部が抜かれているので羨道から覗くと奥が明るい。石材は、付近で産出し「平沢石」と呼ばれる雲母片岩の板石で、前門は逆「L」字形の2枚の板石を中央で合わせ、四角形の出入口をくり抜いたような形になっている。古墳の構築時期は古墳時代終末期の7世紀中葉頃と考えられ、1号墳は同時期の筑波山麓で最大級であることから、筑波国造の墓との説もある。平沢古墳群は文献[4]の「番号138、方墳2基、円墳2基、市指定史跡(佐都ヶ岩屋古墳), S51〜53・H16測量調査, H19発掘調査(3号墳)」
中台古墳群跡や平沢官衙遺跡を見下ろせる。
文献
[1] 筑波大学考古学研究会 1982 『平沢・山口古墳群調査報告』筑波大学考古学研究会
[2] 筑波古[代]地域史研究グループ編著 1982 『筑波古代地域史の研究』筑波大学
[3] 茨城県考古学協会 2010「茨城の考古学散歩」東冷書房
つくば市 佐都ヶ岩屋古墳の前室https://t.co/Ipm1elVlVd
— shigesoul (@BackInMusashi) 2022年7月24日
平沢古墳群の一号墳とも呼ばれる。複室構造で奥室は横長のT字型。T字型石室って対馬と確か浜松でも見たと思うけどどういう系譜なんだろか。 pic.twitter.com/hl0eExetHF
— shigesoul (@BackInMusashi) 2022年7月24日