鉄砲山古墳を再訪。
鉄砲山古墳
墳丘全長107.6m、横穴式石室をもつ6世紀後半の前方後円墳で、埼玉古墳群では3番目の規模を誇ります。古墳の名前は、江戸時代に忍藩が砲術訓練場(角場)として墳丘を利用していたことに由来しています。
墳丘は二段築成で、中段のテラスなどには最大で9条の突帯をもつ大型の円筒埴輪が並べられていました。墳丘の周囲には、他の古墳と同様に方形の二重周堀が巡ります。さらに、外堀の北西側では古墳の堀とみられる遺構も確認されています。また、外堀の南西側は、鉄砲山古墳よりも古い時期に造られた奥の山古墳の外堀に接するとみられています。古墳が密集し土地が限られていても、他の古墳と同じように二重の周堀 で囲まれていたようです
令和5年(2023) 3月 埼玉県教育委員会