川越市立博物館の企画展「山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る」を観覧した。平成24年度(2012年)から4次にわたり実施した発掘調査の成果だけでなく、武蔵の終末期古墳や各地の上円下方墳の解説と出土品、7世紀の武蔵国の解説と充実した内容だった。展示図録では附編で、山王塚古墳の被葬者として、文字資料から物部直氏と大伴部直氏をあげ検討、恵美押勝の乱の平定で功績のあった物部直氏広成の曽祖父にあたるような世代の人物が被葬者になり得るとした。
企画展を堪能したあとで、山王塚古墳を訪れた。山王塚古墳は日本最大の上円下方墳。発掘調査の結果、下方部墳裾の東西69.1m、南北70m(最低)、上円部直径37.0m、周溝外周囲の東西88m(推定)、南北最大で94m(推定)。7世紀中頃から後半の築造。
東から
南から
下方部の南端中央から南東角
下方部の南端中央から南西角
下方部の南の墳丘上から上円部
上円部の南端から東の立ち上がり
上円部の南端から西の立ち上がり
墳頂部の山王社の石祠。享和元年(1801年)の銘。
庚申塔。寛文12年(1672年)の銘。
上円部の南側(現在の山王社参道スロープ)に横穴式石室の前庭部と羨道が検出されたが、前室・玄室は、山王社が残るため発掘調査は行われていない。
墳頂から南の参道
北の下方部の上から
山王塚古墳【埼玉県川越市】
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2020年3月13日
全国でも数例しか確認されていない上円下方墳、かつ一辺63mと同墳形では全国最大!そんな凄い古墳が住宅地の中にひっそり残ってるのは不思議な感じ。
2017年の調査で横穴式石室が確認されたものの、大規模な盗掘によってすでに崩壊していました...。#全国古墳博覧会 pic.twitter.com/dFPh85wYhh
山王塚古墳の西の耕作地。この辺りに山王塚西古墳(円墳、径40m)が検出された。墳丘は既に失われていた。細長い羨道をもつ河原石積みの横穴式石室を有し、土師器壺・直刀・鉄製鐔・装身具の玉類等が出土。出土品は川越市立博物館の企画展で見学した。メノウの勾玉が印象に残った。
文献
[1] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」さきたま出版会
「山王塚古墳総括報告書」出てますね。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月2日
基本的な事実関係は川越市博物館の図録で載っていますね。
考察編は貴重ですね。
販売はしないと言っていましたね。
総括報告書はどこもpdfで公開しているので川越市はどうするのかな?
特異な古墳だと思うのでこれは出発点ですね。 pic.twitter.com/qHNC0kamx2