週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

山崎遺跡 宮代町山崎

東武動物公園の南東に隣接する宮代町の山崎地区に「農」をテーマに宮代町が整備した「新しい村」がある。この村内にある山崎遺跡を訪れた。

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まちしるべ 50 山崎遺跡 (埼玉県選定重要遺跡)所在地 宮代町字山崎

山崎遺跡は、先土器時代の終り頃から縄文時代早期〜後期、また古墳時代(四世紀~六世紀頃)の遺跡である。

大宮台地慈恩寺支台の一部、南東から北西に張り出した台地上に位置し、かつては北側に笠原沼耕地が広がっていた。台地の標高は、約八メートルから十メートルを測り、北に向かって緩やかに傾斜している。

遺跡の南西側に入りこむ谷の対岸には、縄文時代後期を中心とす山崎南遺跡、西側には埼玉県最古の鍛冶工房跡が発見された山崎山遺跡がある。 これまでに五回の発掘調査が行なわれ、先土器時代の石器をはじめ、縄文時代では早期(約七千年前)の住居跡三軒、後期(約三千五 百年前)の住居跡二軒のほか貯穴や炉穴などが発掘されている。 ことに早期の炉穴が台地の西側縁辺部に沿ってつくられてる。また、縄文時代の石器の剥片も多数見つかっており、石器製作跡の可能性も高い。 このほか、古墳時代後(六世紀頃)住居跡四軒が発見されている。

昭和五十 一年十月、埼玉県の重要遺跡に選定されている。

宮代町

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新しい村(埼玉県宮代町)|新鮮野菜の直売所やカフェの他、農業体験や婚活などの講座も!

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