4月2日の記事「佐貫街道ガード」の続き。佐貫街道ガードは弁天山古墳から、絹横穴群に向かう道中で偶然見つけた。絹横穴群は岩瀬川流域の丘陵南斜面に11基の横穴墓が開口する。このうち9基を見学した。
絹横穴は1号墳が属す支群と10号墳が属す支群の2支群に分かれる。
1基目は10号墳。羨道右壁に「木」の文字が刻まれている。「木」はキと読め、畿内の豪族の紀氏を示すと推定。玄室は羨道から一段高い高壇式、羨道よりも玄室が両側に張り出した両袖式、天井はドーム形。玄室に入ってみるとお休み中のゲジゲジが右往左往。
2基目。
3基目。
4基目。
5基目。
6基目。
7基目。
8基目。
9基目は1号墳。
羨道左壁に「大同元年」「許世」の文字が刻まれている。「大同元年」は806年。「許世」はコセと読み、畿内の豪族の巨勢氏を意味すると推定。
羨道右壁に「大同□年」「古世」の文字が刻まれている。
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