週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

講演会「荒川放水路の百年」 (8/28) 北区飛鳥山博物館

北区飛鳥山博物館で開催中の荒川放水路通水100周年記念展示「大水害から東京を守れ!岩淵水門と荒川放水路」の 展示関連講演会「荒川放水路の百年」に参加(聴講)した。国土交通省荒川下流河川事務所の秋山賢 保全対策官の講演と、学芸員による展示紹介。1911年(明治44年)に着手された荒川下流改修工事は、北区岩淵町から東京湾まで新たな川(放水路)を造って荒川の氾濫を防ごうとするもので、岩淵に荒川と放水路の流量を調整する岩淵水門が建設された。放水路工事は1913年(大正2年)、用地買収が終了した箇所から随時着手、川岸を人力で平らにならした後、蒸気掘削機で水路を開削、手掘工事も併用、開削された水路に注水後、浚渫(しゅんせつ)船で浚渫。全長22km、巾約500mの放水路が1930年(昭和5年)に完成した。1916年(大正5年)に着工した岩淵水門は、鉄筋コンクリート造りで、パナマ運河建築工事に参加した日本人技師の青山士(あきら)が設計を担当。1924年10月12日に、岩淵水門の完成を祝う「通水式」が行われた。今年はこの通水式から100周年。岩淵水門は1959年(昭和34年)に地盤沈下対策の改修工事を着手、この改修工事後に門扉は赤色に塗装された。地盤沈下と岩淵水門の老朽化から、約300m下流に新岩淵水門(青水門)が建設された(1975年着手、1982年完成)。荒川(放水路)の水位がAP+4.00m以上になると隅田川に水が流れないように水門を閉鎖する。新岩淵水門が閉鎖されたのは過去5回。直近は2019年の台風19号のとき。今年8月、旧岩淵水門(赤水門)は重要文化財に指定された。荒川放水路通水100周年記念展示は9月1日まで。

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荒川知水資料館前にある荒川放水路完成記念碑
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此ノ工事ノ完成ニアタリ多大ナル犠牲ト労役トヲ払ヒタル我等ノ仲間ヲ記憶センカ為ニ

神武天皇紀元二千五百八十二年 荒川改修ノ工事ニ従ヘル者ニ依テ

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